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精神分析と映画をめぐる読書案内

ジャック・リヴェットの映画批評集成

* Jacques Rivette : Textes critiques, édition établie par Miguel Armas et Luc Chessel, Post-éditions, 2018.

 生前、評論集の出版を拒みつづけていたジャック・リヴェットの『批評文集』がついに刊行された。

 ほぼ同時に刊行されたアンドレ・バザンの『全著作』(Ecrits complets, Macula)ともども、今後末長く映画狂のバイブルとして読み継がれる書になることは間違いない。盟友トリュフォーの撮影になる著者二十歳のポートレートを表紙にあしらった装丁もシック。

 すでに70年代末にイギリスで、ついで80年代末にドイツでそれぞれ発言集ないし評論集が編まれていたが、フランス本国では初(わが国でもさいわい代表的な文章である「ハワード・ホークスの天才」「ロッセリーニについての手紙」「おぞましさについて」には翻訳がある)。

 1950年、ルーアンからの上京直後にモリス・シェレール(のちのエリック・ロメール)の紹介によって Bulletin du ciné-club du Quartier latin に執筆された最初の文章から、「カイエ・デュ・シネマ」を離れる1969年までに発表された全批評文に加えて、ジャック・リヴェット財団のアーカイヴに保管された未発表の文章の一部を収めている。これらの一篇一篇に編者らによる丁寧な注がついている。巻末にはアーレント全体主義の起源』の仏訳者にしてリヴェットのスペシャリストでもあるエレーヌ・フラパによる1999年のロング・インタビューが収録されているが、こちらもほぼはじめて公にされるものであるようだ。

 ひさしぶりにリヴェットの文章をまとめて読み直してみて、その硬質にして明晰な文章の美を再認識した。同じく稀代の文章家であるトリュフォーとはまた別のいみできわめてフランス的な文章の書き手というべきだ。

 リヴェットの批評的探求のいっさいは、音楽(本書を通読するとあらためてそのメロマーヌぶりがわかる)をはじめとする現代諸芸術を参照しつつ映画におけるモデルニテの何たるかを見極めることにあった(フィルムアート社刊『シネレッスン vol.13 映画批評のリテラシー』参照)。

 このたびの集成中でもっとも注目すべき文章のひとつは、1955年から61年にわたって「ガリア」(商標)のノートにしたためられた未発表の草稿ではなかろうか。

 さながらヴァレリーの「カイエ」あるいはブレッソンの「シネマトグラフ覚書」(そのアフォリズム趣味)をおもわせる断章群。

 読者はここにあいかわらず明晰できわめて抽象度の高い言語によって綴られたリヴェット映画思想のエッセンスを読み取ることができる。本篇はまさに映画批評家映画作家リヴェットの方法序説だ。
 
 セルジュ・ダネーの提示する見取り図によれば、「カイエ・デュ・シネマ」における「作家主義」政策は、リヴェットをその最大の継承者とするバザン的な“見ること”の教育学とジャン・ドゥーシェらの解釈学的な方法論とを両輪としていた。

 とはいえ批評家リヴェットの出発点には、すでに世界に向けられたまなざしが無垢ではありえないという認識があった。二十歳のかれが最初に世に問うた文章はいみじくも「われわれはもはや無垢ではない」(Nous ne sommes plus innocents)と題されている。冒頭を引こう。

 「スティルレル、ムルナウ、グリフィスのこれこれの映画をこんにちあらたに見て驚くとともにまざまざとおもいしらされるのは、人間の身振りとか感覚によってとらえることのできる全宇宙の営みがまとう並外れた威光[l'exceptionnelle importance]だ。飲んだり歩いたり死んだりという行為がそこでは濃密で充実した意味を帯び、どんな解釈や限定をも超越した徴[signe]としてのあらあらしい自明性[la confuse évidence]をともなってたちあらわれる。いまではもはやこのようなものを映画のなかに探し求めても無駄だろう」。

作家主義」を主導する概念のひとつとしてリヴェットじしんが提示した「演出」(mise en scène)という概念は、まさにこうした喪失感に発している。

 世界に向けられた映画作家のまなざしは無垢ではありえない。映画を撮る行為にはある抽象化の操作がともなうのであり、映画作家は異化効果にも似たそのような操作をつうじて弁証法的に世界に到達する。

 手稿「『ガリア』ノート」(および同時期の草稿「現代映画について」)は「演出」という行為をサルトルから借用した métaphysique [形而上学=超物質主義]というタームによって説明している。いわく、脚本とか物語は物質的なものであり素材[matière]にすぎない。「演出」こそ「映画作家に許される唯一の形而上学の形式である」。

 かくてリヴェットの批評はいっしゅの哲学的相貌を帯びる。その思索はロメールに薦められて読んだアラン、そして独自に発見したジャン・ポーランにふかい影響を受けている。そしてその思索を導くのが本書の随所で出会うたとえば「観念(idée)」「外見(apparence)」「明察(lucidité)」(「フランソワ・トリュフォーあるいは明察」というやはり未発表の文章がある)「秘密」「自由」……といったキーワード群である。

 なお、「法」(ルジャンドル)「秘密」および「無垢」というキーワードのパズルのように愉しげな並べ替えの操作によって“なぜある映画が語るに値する映画であり、別のある映画がそうではないのか”というポーラン的(もしくはカヴェル的?)難問に挑んでいる巻末のエレーヌ・フラパとの対話も、禅問答をおもわせるようなきわめて抽象度の高い思索的なテクストとなっている。


 (à suivre)

エイジーの夜:『いまこそ名高き人たちをたたえよう』




 承前。

 ジェームズ・エイジーと写真家のコラボレーションといえば、いうまでもなく『いまこそ名高き人たちをたたえよう』(Let Us Now Praise Famous Men : Theree Tenant Famillies, 1941年)に遡る。

 かのライオネル・トリリングが「われわれのアメリカの世代のもっともリアルでもっとも重要な精神的試み(moral effort)」と形容する本書は、(広義の)アメリカン・アートの金字塔のひとつとして知られている。

 1936年、ニューディールのPRのため、Fortune 誌によって友人のウォーカー・エヴァンズ(エイジーをヘレン・レヴィットにひきあわせたのはかれである)とともにアラバマ州の綿花栽培地帯に派遣されたエイジーは、ルポルタージュ執筆のために地元の三つの家庭に「スパイ」として潜り込む。

 巻頭にエヴァンズの60葉あまりの写真が並べられ、それに400頁ほどのエイジーのテクストがつづくという構成はあるいみで A Way of Seeing とぎゃくである。

 A Way of Seeing のエッセーがレヴィットの写真に寄り添い、いわばそのキャプションの役割を果たしているのにたいし、『……たたえよう』ではエヴァンズの写真とエイジーのテクストとがせつぜんと切り離され、互いを参照しあうことがない。

 エヴァンズの写真に写っているもろもろの人物や建物がエイジーのテクストに登場するそれらと同一なのかどうかさえ読者には正確にはわからない。

 それゆえ、さきに写真家との「コラボレーション」と述べたのは、厳密にいえば正確さを欠いている。

 テキストのすくなからぬ部分を、エイジーバルザックフローベール(むしろロブ=グリエクロード・シモンというべきかもしれない)をおもわせる徹底した細密描写によって建物のつくりや部屋のようすや家族らの服装を逐一ことばに写し取ることについやしている。

 ここでエイジーはいわば言葉によってエヴァンスの写真にその“等価物”を対置しようとしている。もしくはそれにとって代わろうとしている。

 エイジーと親交を結んだジョン・ヒューストンはその自伝に書いている。

 「ジェイムズ・エイジーは真実を追究する詩人だった。外見はほったらかし、大切なのは誠実さだった。この誠実さを自分の生命以上に貴重なものとして彼は守りきった。真実への愛は妄執に近いところまでいっていた。『いまこそ名高き人たちをたたえよう』のなかに部屋のなかの細々したものを描写する箇所があるが、そこはこれが真実だと言わんばかりの精緻のきわみになっている。永遠のなかの一瞬、これらの物体は外接空間にたまたまこのような配列で存在している、というのが真実の実体であった。真実とは人に語りかける価値のあるものなのであった」(宮本高晴訳『王になろうとした男』)。

 ヒューストンの描き出すポートレイトによれば、エイジーは身なりにかまわぬ巨漢で、前歯が何本か欠けており、およそ「詩人」らしくみえなかったという(おもしろいことにエイジーもまたヒューストンのカバーストーリーにおいて、このボクサーあがりの監督の前歯が欠けていることを印象的に叙述している)。

 ここでいう「生命」とは「生活」といったいみあいであろうか? ジャック・ランシエールがいみじくも書いているように(Aisthesis : scène du régime esthétique de l'art, 2011)、エイジーの描写は雇い主が望んだお誂え向きの「貧困」、「悲哀」のイメージを見事に逸脱し、裏切る「美」に輝いている。おはらい箱になることを覚悟でエイジーは極貧地帯に生きる者たちの人間としての尊厳を同国人たちに伝えようとしたのである。本書の真の政治性はこのようなヒューマニズムにこそある。

 ヒューストンがいいあてたように、エイジーのとらえようとした「真実」は自然主義的ないみあいにおけるそれではなく、むしろ「詩」(もしくは哲学?)の範疇にあるなにかである。

 本書のなかでエイジーは「リアリズム」という言葉に留保を置いている。客観的な真実をキャメラは映し出すことができるかもしれないが、言葉は書き手の主観というフィルターによってその真実を歪めざるを得ない。

 そのかぎりで「ジャーナリズムの血となり精液となるのは壮大にして見事な嘘というフォルムである。法螺を吹くこのフォルムをジャーナリズムから取り去ってしまえば、すでにそこにジャーナリズムなどないのだ」。

 これはジャーナリズムの宿命であるが、欠点ではない。真実を伝える能力において言葉が写真よりも劣っているといういみではいささかもない。エイジーじしんのたとえていうごとく、いくら馬になりたいと願ったところで牛は牛のままなのだ。かくて『……たたえよう』におけるエイジーはジャーナリストとしての宿命に殉じようとした。ダイレクトな真実の提示はエヴァンスに委ね、じぶんは「嘘」をつきとおすことによってそれとは別種の真実を伝えようとしたのである。

 写真映像の伝える真実については、そのご、A Way of Seeing においてつぎのようにのべられている。

 「写真いがいのあらゆるアートがちょくせつアクチュアルな世界を利用するとき、アクチュアルなものはアーティストの創造的な知性によって変容を被ってあらたな別種のリアリティとなる。これを審美的なリアリティと呼ぼう。われわれがこの場で問題にしているような写真においては、アクチュアルなものはまったく変容を被らない。アクチュアルなものはキャメラに可能なかぎりでの正確さを保ったまま反映され、記録される。アーティストの義務は眼に見えている世界を審美的なリアリティに変えることではなく、アクチュアルな世界のさなかに審美的なリアリティを知覚することであり、創造のこのような運動がもっとも表現力にとむ結晶化をなしとげる瞬間の、生のままで(undisturbed)忠実な記録を残すことである。かくしてアーティストはかれの眼とかれのカメラをとおしてその素材に影響をおよぼすのだ。その素材は唯一無二の生存であり、それまでアーティストにとってかくもダイレクトでかくも純粋なかたちでたちあらわれることのたえてなかった宇宙を開示してくれ、ほかのあらゆる芸術的な創造行為においてひつようとされるのとおなじくらいほりさげられた(deep)創造的な知性ならびにスキル、知覚、訓練を要求するものなのだ。もっともその制約と豊かさの度合いはほかのアートにおけるのとは別様ではあるが」。


 Night was his time. ... The first passage of A Country Letter (page 34) is particularly night-permeated. ...

 エイジー死後の1960年に付された序文「1936年のジェームズ・エイジー」のなかで、ウォーカー・エヴァンズはエイジーの文章のなかに「夜」の匂いをかぎとっている。名うての nighthawk であったという事実にとどまらないエイジーの言語世界の本質を言い当てて見事である。

 写真や映画は光によって真実を照らし出す。ことばをなりわいとする者はひとり夜道を行く。『いまこそ名高き人たちをたたえよう』でわかれわかれの道を歩んだみちづれゆえの明察だろう。

 本書で南部の人や建物や家具に向けられたそのおなじ眼差しを、まもなくエイジーはスクリーンの世界に向けることになるだろう。

ジェームズ・エイジーの『全映画批評』(その2)



*James Agee : The Works of James Agee volume 5 : Complete Film Criticism (The University of Tennessee Press, 2017)


 ヘレン・レヴィットの写真集 A Way of Seeing に収録されたジェームズ・エイジーのテクストはお定まりの“巻頭エッセー”にとどまらない。

 本書が出版されたのはエイジー没後十年後である。生前、エイジーはレヴィットとともにこの写真集の企画を練っていた。本書はレヴィットとエイジーの共著とみなすのがふさわしい。

 レヴィットとエイジーは同じ時期に In the Street という短編ドキュメンタリー映画を共同制作している。やはりハーレムの路上ではしゃぎまわる子供たちを特権的な被写体とする同作は、 A Way of Seeing のふたごのきょうだいのごとき作品である。

 In the Street はつぎのような字幕とともにはじまる(おそらくエイジーの手になる可能性が高い)。

 「大都市の貧民街の路上は劇場であり戦場である。そこではかえりみられることも気づかれることもないあらゆる人間が詩人であり、仮面劇俳優であり、戦士であり、ダンサーである。そして街の喧騒にもかかわらずかれがその身に帯びる芸術性こそ人間存在そのもののイメージである。この短い映画はこのイメージをつかまえることを試みている」。

 写真集に話を戻すと、筆者の手元にあるペーパーバック版(1989年刊)には86葉の写真が収録されているが、オリジナル版は68葉で構成されていた。

 初版本は装丁も凝りに凝った美しいものであったようで、ポラックの『コンドル』でフェイ・ダナウェイ演じる人物の部屋にも飾られているらしい。
 
 作品には通し番号が付されており、エイジーは番号のみを挙げて個々の作品をコメントしている(『全映画批評』には図版は収録されていない)。

 エイジーは作品1から作品68までの流れのなかにひとつの壮大なストーリーを読み込んでいる。

 写真の配列にエイジーのアイディアが反映されているかどうかはさだかではないが、ひょっとしたらエイジーのテクストがまずあり、それに合わせて写真を配列したのかもしれない。

 作品1は木のプレートのようなものに子供が描いたとおぼしき顔の絵を写している。エイジーはこの顔を太陽に見立てている。これはさながら人間の誕生以前の世界である。

 ついで作品2と作品3はアスファルトにチョークで描かれた先史時代の洞窟画のようないたずら書きである。

 そして作品4に至ってはじめて人間が登場する。ヴェールで顔をすっぽりと隠し、前掛けに刃物のような「武器」を忍ばせた少女(?)である。

 写真集の大半を占めるのは路上で遊ぶ子供の写真である。ここにエイジーは人類の幼年時代を重ね見る。

 しかし微笑ましいスナップショットのところどころに差す翳りをエイジーの筆は見逃さない。暴力、孤独、セックス、死を暗示させるディティールがいたるところに写り込んでいる。

 かくて人類は無垢を喪失する。もしかしたらエイジーにとってそのような無垢の喪失を象徴するものは核兵器の存在だったかもしれない。

 エイジーは敬愛する晩年のチャップリンに核戦争後の世界を舞台とする映画のシナリオ(“The Tramp's New World”)をオファーしたが、却下されたという有名な逸話がある。
 
 しかしエイジーは、写真集の終盤に登場する腕に抱いた孫と思しき赤子の顔を覗き込んで微笑む老人の笑顔に人類の楽天的な未来を読みとっている。

 写真集の掉尾を飾る作品68はアパートの前に立ちホースで水を撒く老女を写している。

 「最後の写真ほど完璧なまでに雄弁に、優雅で、偉大で、まばゆいばかりの幸福と愛らしさを伝えるイメージをわたしは知らない。それは愛情をこめた奉仕がその祝福によってもたらすものである。どんな作家も画家も俳優もダンサーも、あるいは音楽家も、婦人の腕の庇護するような寛大なさまや、微笑む顔の傾げ方と口調(voice)や、立ち姿やたたずまい全体を表現することはできないだろう。これらのものはまた、どんなよろこびや美しさをも超越している。そうしたよろこびや美しさを経験することができ、具現することができる者がひょっとしてあるとしたら、それは子供だけだろう。かのじょは生の甘美さでもあれば、死のやさしさでもある。肉の世界のさなかにおいて勝利を謳いあげる魂である。無垢の救済でありその不滅である」。

 このときエイジーの想念にリュミエールの水撒き人が浮かんでいたかどうかはさだかではないが、ボードウェルのいうエイジー一流の「ロマン主義」がここにはっきりと読みとれる。

 「視覚の能力の純粋化」が人類を解放し、救済するとかんがえるのは愚かであると認めつつ、エイジーは映像こそが「正気と好意と落ち着きと諦念(acceptance)と喜び」を人類にとりもどしてくれる近道であると信じようとしている。

 「ゲーテは書いている。考えることはよいことだ。もっとよいのは、見て、そして考えることだ。いちばんよいのは考えずに見ることだ。ここに収められた写真たちをみれば、かれの言わんとしていたことがよくわかる」。

 これが締めくくりの一文である。(つづく)

ジェームズ・エイジーの『全映画批評』



 *James AGEE : Complete Film Criticism : Reviews, Essays, and Manuscripts (Edited by Charles Maland, The University of Tennessee Press, 2017)

 全十一巻が予告されている「ジェイムズ・エイジー著作集」(The Works of James Agee)の5巻めに当たる『全映画批評』がテネシー大学出版局から刊行された。索引を合わせると千ページを越す大冊である。

 エイジーの映画論集としてはこれまで、死後まもなく刊行された Agee on Film に加え、同書に未収録であった文章の大半を併録した Film Writing and Selected Journalism (The Library of America, 2005) があった。

 Agee on Film 中道左派知識人向けの The Nation に寄稿された記事中心に編まれ、より大衆的な Time に掲載されたウィッティな記事の多くを落としていたこと、同書の刊行時にマニー・ファーバーがこの編集方針に疑義を呈したことはすでにこの場で述べた。

 『全映画批評』の編者チャールズ・マランドによれば、その原因のひとつは、Time では文体上の縛り(“Time-ese” phrases)を課されていたことに加え、映画批評欄が複数の評者によって受け持たれており、そのなかからエイジーの単独で執筆した記事を特定するのがときとしてむずかしいことにあったようだ。

 マランドはTime 掲載の文章のうち、これまでエイジーの筆になるものとされてきながらじっさいにはそうではなかった十余篇を割り出し、今回の集成からは除外している(グリフィス論、『黄金狂時代』論など)。

 さらにテキサス大学およびテネシー大学に保管された遺稿を精査し、未刊行の記事や一部の草稿を併録しているのがセールスポイントとなっている。

 そのなかには、ルネ・クレール『明日を知った男』についての長文の批評やバルデッシュ&ブラジヤックの『映画史』英訳書の書評、エイゼンシュテインをとりあげたカバーストーリーの草稿などが混じっている。

 そのほか、すでに世に出ていたけれどもこれまで映画論集には収録されていなかったものとして、エイジー17歳のみぎりの最初の映画批評(『最後の人』論)や、より興味ふかいものとしては、1965年に刊行されたヘレン・レヴィットの写真集 A Way of Seeing に収録されたエッセー(執筆は1946年)がある。

 後者はちょくせつ映画を扱った文章ではないが、このエッセーを収録した『全映画批評』編者の見識をジョナサン・ローゼンバウム(Film Comment ニューズレター)とともに高く評価したい。

 エイジーはヘレン・レヴィットと共同で[セミ・]ドキュメンタリー映画を二本制作しており、それらは当然のことながらレヴィットの写真集ときわめて類縁性の高い世界観を提示している(ともに1948年の In the Street および The Quiet Oneシドニー・メイヤーズの演出した後者はアカデミー賞候補にノミネートされた)。

 それだけではない。このエッセーはエイジーのもっとも理論的な文章といえ、視覚芸術についてのかれの根本的な思想が明確によみとれる点でもきわめて貴重である。

 エイジーにとって本エッセーはさながらアンドレ・バザンにとっての「写真映像の存在論」といえはしまいか?

 二人のもっとも偉大な映画批評家のもっとも根本的なテクストがともに写真を題材に選んでいることは偶然ではない。

 『叙事詩人たち』(The Rhapsodes : How 1940s Critics Changed American Film Culture, The University of Chicago Press, 2016)において、デヴィッド・ボードウェルはエイジーを“ロマン主義者”と位置づけている。

 いわく、「おおくのロマン派とおなじく、芸術家エイジーは日常的な世界のなかに超越的な美を探求した」。

 本エッセーにはエイジーのこうした(バザン的ともいえる)一面が如実に現れている。

 このエッセーについては稿を改めてコメントしたい。

 チャールズ・マランドによる『全映画批評』の長大なイントロダクションには、職業的な映画批評家としてのエイジーについて知ることのできるあらゆる情報が盛り込まれている。

 たとえば、Time の専属批評家であった頃のある一週間にかれがどの会場でどの時刻にどの映画を見ていたかがリストアップされ、当時の文字あたりの報酬までが具体的に示されたりする。

 かれの批評をめぐる毀誉褒貶についても頁が割かれる。ファーバーからサリス、ケイル、シッケルを経てボードウェルにいたるまでの同業者らによる賛辞。あるいはぎゃくに、共産主義への幻滅を吐露したカーティスやドンスコイ作品への否定的な評価が The Nation 読者のあいだに掻き立てた反発……。

 ジョナサン・ローゼンバウムはマランドがエイジーのうちに「カイエ」=サリス的な「作家主義」の先駆を見出そうとすることがエイジーの批評の本質を覆い隠すことにつながりかねないと懸念している。

 ローゼンバウムによれば、エイジー映画作家の自己表現よりも、俳優の身振りや作品の雰囲気や画面の視覚的な肌理といった要素に敏感であったのだ。

ジャン=ルイ・コモリの「イスラム国」映像論:『ダエシュ、映画、死』




*Jean-Louis Comolli : Daech, le cinéma et la mort (Verdier, 2016)


 「イスラム国」(以下、ダエシュ)の勢力がすくなくとも地理的には縮小しつつあると報じられるきょうこのごろ。

 ところで、ダエシュを未曾有の勢力たらしめたのはなにか?

 映像である。

 映像こそがこの勢力の最大の武器であるともいえるだろう。

 ダエシュの映像は糞である。その点に議論の余地はない。

 しかしそのことは技術的なクオリティとは無関係だ。

 かれらのプロパガンダ映像を発信する Al-Hayat Media Center は、ハリウッドにも劣らぬ先端的なデジタル映像技術を駆使する撮影所 であるらしい。

 じっさいにハリウッド映画とダエシュのクリップはいまや相互に影響を与えあう競合関係にある……。

 いまや現代世界について考えることはすなわちダエシュについて考えることである。そしてダエシュについて考えることはすなわち映像について考えることである。(以上証明終わり)。

 長年マルセーユで国民戦線にカメラを向けつづけてきたジャン=ルイ・コモリが『ダエシュ、映画、死』と題されたエッセーを著している。

  裏表紙の文章を引用しよう。

 「ダエシュはみずからが拷問する人たちの死を撮影する。死を撮影する?
 ダエシュはそれをシステム化された方法で、もっとも派手な(spectaculaire)視覚効果に訴えつつおこない、いくつかのハリウッドのアクション映画に模倣されている。さらにダエシュはれっきとした撮影所を所有し、ありとあらゆるデジタル技術を駆使している。検閲されているいないにかかわらず、かれらの映画(film)は、全世界に常時流されている。

 『ヨーロッパ世界の敵』は、ヨーロッパ世界で用いられている手段を用い、ヨーロッパ世界で用いられている形式を踏襲しており、そのことによっていっそうわれわれに近いところにいる。ダエシュもまた売買をおこない、市場開拓をおこない、投資をおこない、搾取をおこなっている。のみならず、かれらはわれわれの先まで進んでいる。映画と死のあいだの血生臭く(macabre)、反自然的な契約(alliance)を実現しているのだ。わたしは現代に固有のこの常軌を逸したできごと(extravagance)を理解したいとおもった」。

 
 同書でコモリはダエシュの映像をリュミエール兄弟によって発明されたシネマトグラフのいわば鬼子と位置づけ、映画とイスラム国のクリップの連続性と不連続性をあきらかにしようとしている。

 同書が『スペクタクルの社会』刊行(1967年)から半世紀を目前にして著されたことは偶然ではないだろう。

 コモリの見立てによれば、デジタルシネマの制覇によって『スペクタクルの社会』におけるドゥボールのヴィジョンがついに現実のものとなったのだ。

 そしてそれを実現したのはほかならぬダエシュである。

 デジタルシネマは撮影、録音、編集、配給という映画制作のプロセスを同じ唯一の操作に還元する。

 それによって時空間的な隔たり、ひいては制作者と観者との差異が消去される。

 これはグローバリゼーション(「<資本>のGoogle的局面」)における眼差しの「脱個人化」ないし集団化という事態に即応している。

 「デジタルシネマの勝利を言祝ぐ」ダエシュは「<資本>の敵ではない」というわけだ。

 シリコンバレーの起業家とダエシュの殺人者は権力と隷属についての同じ意見を共有している。「懐疑」の余地はなく、すべては「事実」なのだというそれである。

 それゆえ、「<資本>とダエシュのいずれのペストを選ぶかが問題ではもはやない」。  

 映画は不死性の神話に起源をもつ(バザン「写真映像の存在論」)。「映画は死という絶対者、死という全体性を断片化するべく発明された」。

 ダエシュはいわばこの神話を完成する。映像の万能性(トリック)を人間の万能性と取りちがえることによって。

 ダエシュの映像において、殺害はいわば白日の下にスペクタクル化される。「事実」はフレームの中にしかないというかのように。そこでは死刑執行人と犠牲者が同じフレームの中に共存し、そのいずれもがカメラの方を向いている。モンタージュが「禁止」(バザン)され、両者の視線が交わることはない。編集を拒否することでダエシュは時間を超越し、「時間の支配者」となる。

 犠牲者の斬首というクライマックスがすべてであり、映像は一瞬で終わり、タイトルクレジットだけが長々と続く。

 コモリによれば、ここで「演出」の対象にされているのは観者の眼差しそのものである(ヒッチコック?)。観者は、カメラの前の犠牲者を救えないという「観者」のポジションにとどまるべく強いられ、共犯者に仕立て上げられる。

 写っているものへの意識を喚起すべく撮られる映画映像とは逆に、観者は意識を麻痺させられる。死は非現実化し、被写体の尊厳はそこなわれる。

 ダエシュによる死のスペクタクル化にコモリは映画俳優による死の演技(トリック)を対置する。後者は観者の「信」の領域を関与させる。

 ダエシュの映像は映画に内在している窃視欲動=破壊欲動を全開にした。そもそも映画のエロティシズムは見せない演出、つまり編集によって生まれていた。ナチスプロパガンダ映画さえ、典型的に編集の力に依拠していた(『意志の勝利』)。

  しかし視覚的な狂気が限界を超えることはないというのは幻想であった。すでにパゾリーニがその反映画的映画『ソドムの市』において予告していたことである。

 ダエシュは撮る行為と殺す行為を短絡的に結びつけ、瞬時に全世界に中継する。それによって撮ることと殺すことがあらたないみを帯びるとコモリはいう。

 撮ることは現実に目を開き、記憶を蓄えるためではなく、「伝達」そのものを目的とするようになる。観者の存在はダエシュによる殺害の必要条件である……。


 すでにお察しのとおり、コモリの所論は大筋においてリヴェット、ドゥボールからバルト、ヴィリリオ、ダネーを経てモンザン、ディディ=ユベルマンに至るまでのここ半世紀の映像論をなぞっている(つまり新味はない)。

 さらに映画の本分を本質化し、映画とダエシュを二元論的に対比させる図式に落とし込む誘惑に逆らい切れていない。

 いわく映画はすべてを見せない……真実は画面外に宿る……それゆえに映画は観者の孤独で親密な「懐疑」の余地を残し、その「信」に委ねられる……映画は時間という有限性を刻印され、それゆえに<他者>に向かって開かれている、エトセテラ、エトセテラ。

 そうした「映画的」なものの例証として召喚されるのも、『復讐は俺に任せろ』のラング(その簡略的な暴力描写)、『雨月物語』の溝口(その羞恥をまとったトラヴェリング)……といったおきまりのラインナップ。

 あるいはシリアの反ダエシュ的なクリップの撮り手たちがその影響を標榜する「ひとつの映画的な倫理と政治の名称としての」ゴダールの名……。

 映画がその創生以来背負いつづけている諸々の罪についてコモリはじゅうぶんに自覚的であるけれども、その罪をすべてダエシュに背負わせることによって、映画を浄化し、神聖化するという罠にはまりかけている。これはほかならぬダエシュ的な原理主義の裏返し(もしくは影響)ではないか?

パーカー・タイラーを読む(その8)

 
 




 (承前)

 パーカー・タイラーのエッセー Charade of Voices のさいごのパートは「アンチクライマックスの声」と題されている。

 考察の対象となるのはディズニーの音楽アニメーション「メイク・マイン・ミュージック」シリーズの一篇『くじらのウィリー』。

 歌うクジラの噂を聞きつけた興行師が捕獲に乗り出す。三つの喉をもち、三声を唱い分けるウィリー。興行師は三人の歌手がウィリーに呑み込まれているのだと思い込み、救出すべくウィリーを殺してしまう。ウィリーは天国で永遠に美声を奏でる。

 声はいいが巨体でルックスに難のあるウィリーはメトの歌手の寓意である(「集団の声」のパートではメト歌手が鳥になぞらえられていたのをおもいだそう)。

 ネルソン・エディーがすべての歌のパートを担当している。タイラーによれば、ネルソン・エディーはルックスはいいが声に難があるためにメト歌手の夢を絶たれた数知れぬ歌手たちのひとりである。

 タイラーはこのキャスティングにハリウッドの声の charade をみいだす。

 ほんもののメト歌手を起用しなかったことが妙味である。

 物語のうえではネルソン・エディーの声がメト歌手級の声ということになっているわけだ。

 それによって、この物語に、いまひとつの寓意がつけくわわる。

 メト歌手の夢やぶれた歌手たちの復讐というそれである。

 殺されるウィリーはメト歌手でもあり、元メト歌手志願者たちでもある。

 本作が涙を誘うのはそれゆえである。

 ネルソン・エディーのキャスティングゆえにこの物語が一篇の moral tale となる。

 タイラーは本作ではじめてネルソン・エディーの声に聞き惚れた。その理由をおおよそ上のように分析している。

 本作においても声は反リアリズム的な作為として用いられている。そして声という要素が演出の要と位置づけられている。

 あるいみでこのさいごのパートが本エッセーのなかでいちばんタイラーらしい文章かもしれない。

パーカー・タイラーを読む(その7)

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 パーカー・タイラーのエッセー Charade of Voices のつづきをよんでいこう。


 「Voices that no speakee…」という翻訳不可能な標題の下に論じられるのは、アクセントが異人種であることの符牒として用いられるケース。

 『キスメット』のジェームズ・クレイグの誇張されたアクセントはアラブ人であることのたんなる記号であり、下手にリアリズムに則っていないだけに、すべてのアメリカ人男性が「千夜一夜物語」の英雄にみずからを重ねるたすけとなる。同作におけるディートリヒのアラブ人らしからぬドイツ風アクセントは、ぎゃくに囚われのマケドニア女としてのリアリティをつよめている。

 『ドラゴンシード』で中国人女性を演じているキャサリン・ヘプバーンの真に迫った東洋風メイキャップは、女優ほんらいのものである「声のメーキャップ」(ボストンの演劇学校の生徒風のそれ)に負けてしまっている。持ち前の歌うような口調が多少はエキゾチックな効果を出し、英国式の儀礼的な言葉遣いが多少は東洋風に聞こえるとしても。

 同じく中国人を演じている共演のウォルター・ヒューストンもエイキム・タミロフもどこからどうみてもアメリカ人とロシア人にしかみえない(聞こえない?)。いっそのこと様式化されたピジン・イングリッシュを全キャストに喋らせればよかったか? いかんせんそのへんの中国人洗濯屋の言葉かと錯覚してしまうが落ちだ。


 「ローレン・バコールの声」。

 あきらかに本論執筆中のタイラーをもっとも魅惑していた声は、この頃まさに彗星の如く現れたローレン・バコールの声である。

 『脱出』のバコールのことばはどこか外国風(foreign)である。それは英語にもともと内在する外国的なもの(表音綴り法)もしくは英語にルーツをもつ外国的なもの(エスペラント)のごときものだ……。

 スモーキーで、抑揚がなく、低く、けだるい音運び、くわうるにどこかディートリヒ風ともいえるがあくまでも出どころ不明の a pleasant burr をともなうその声は一個の謎である。

 この謎を解くにはバコールのパーソナリティを分析してみなければならないと前置きして数十行におよぶバロック的な言葉の迷宮(「バコールは女優というよりも受肉化したマニエリスムだ」云々)を経巡った末にタイラーはひとつの意外なアナロジーにたどりつく。

 『脱出』でのバコールの歌唱にタイラーは Cow Cow Boogie Girl ことエラ・メエ・モーズのそれとおなじ音調と声質を聞き取るのだ。

 「ここではモーズ嬢の円を描くコントラルトの叙情詩調が、暗黙の、洗練された散文として捕え直されている(lassoed)」。

 かくしてバコールの声はモーズをベースにガルボらの血清が注入されたものであるというのがタイラーによる謎解きのひとつの結論となる。

 バコールはかくしてサイエンス・ホラー映画におけるがごとき実験の結果生まれた新種の生命体である。

 幕切れの一節はこうだ。

 Result : a new star, Lauren Bacall.


 このパートを書いたあと、タイラーはあるコラムで『脱出』でのバコールの歌唱がティーンエイジャーの少年による吹き替えであるらしいことを知るが、「この事実を知ったところでわたしがおこなったバコールのエッセンスの分析的再構築には一カンマの揺らぎもない」と豪語する。


 Her Hepburnesque Garbotoon, clearly confirmed in her subsequent pictures, equals Dietrich travestied by a boyish voice.


 どうやら吹き替えの主は当時十六歳のアンディ・ウィリアムスであったらしい。後年のインタビューにおいて、ウィリアムスは録音した事実は認めつつも、それが映画のなかで実際に使われたかどうかについては言葉を濁している。

 『脱出』でのドスのきいた歌声にタイラーが聞き取ったのは、バコールのパーソナリティおよび声におけるトーチ・シンガー的な本質である。

  So I saw her as a kind of monster, with a special , fire-extinguisher kind of charm.


 あるいみで、クイア的な状況へのタイラー一流の嗅覚がここでもはたらいているとかんがえることができるだろう。