alacantonade

精神分析と映画をめぐる読書案内

ジャック・リヴェットの映画批評集成(その4)

* Jacques Rivette : Textes critiques, édition établie par Miguel Armas et Luc Chessel, Post-éditions, 2018.

 承前。

「演出家の時代」
 「カイエ・デュ・シネマ」1954年1月号掲載。『聖衣』の公開を受けたシネマスコープ考。画面の奥行きが「不条理」の感覚に結びついているのにたいし、画面の幅は「知性、均衡、明察」ひいては「モラル」に結びついているのではないか。「身振りと態度の新たな幅の探求にのりださねばならない。とくにこの時代に固有の身振りの幅である。それがこの平たい底に『立体感』[立体映画ブームを踏まえる]をもたらすだろう」。最初の「天才的な」シネマスコープの例としてホークスがプロモーション用に撮り直した『紳士は金髪がお好き』中のモンローのクリップが挙げられている。


「本質的なもの」
 同2月号掲載の『天使の顔』評。「演出」概念を明確に提示した重要論文。
 「貧しさの賛美」。このRKO作品でプレミンジャーはフォックス時代にはその潤沢さの陰に隠れていたみずからのわざ[art]を「本質的なもの」へとつきつめている。「映画の諸要素がここではほとんど剥き出しで作用している」。プレミンジャーにとって本作と『月蒼くして』はドライヤーにとっての『二人の人間』(!)、ラングにとっての『復讐は俺にまかせろ』、ルノワールにとっての『浜辺の女』に相当する。プレミンジャーの才能の秘密は映画についてのひとつの正確な「観念」である。「プレミンジャーはわたしを熱狂させるというよりも気がかりにさせる。こういう映画作家はけっして多くない」。純真な嘘つきもしくは犯罪者というプレミンジャーのヒロイン像はそれじたいとしてはありふれているが、この人物像は脚本に由来するものではない。本作の謎は物語の謎が解けたあとでも解消しない。「筋立て以外のある興味がわれわれを登場人物のさまざまな身振りに執着させる。とはいえいくら考えてみたところでその内奥に何かが隠れているわけではないのだ」。この「内奥」は登場人物じしんに由来するのではなく演出に由来している。脚本はいわば「口実」だ。「問題なのは嘘くさい物語を信じさせることではなくて、劇的ないし小説的な真実らしさを超えたところに純粋に映画的な真実を発見させることである」。「ホークス、ヒッチコック、ラングといったオールドスクール映画作家たちはまず物語を信じ、この信頼のうえにかれらのわざの威力を基づけていた。プレミンジャーがまず信じるのは演出である。つまり登場人物と舞台装置の精密な複合体の創出であり、さまざまな関わりのネットワーク、動的で空間に宙吊りになっているようなさまざまな関係性の建築物の創出である」。そのような「演出」をリヴェットは「水晶を切り出すこと」になぞらえる。
 プレミンジャーが典型的な「演出家」なのは、その演劇的な出自とはかんけいがない。「人間と人間の対立する演劇的な空間のさなかに偶然やアクシンデント性[思いがけない創意]をつかみとることでプレミンジャーは映画の能力を最大限に活用する。眼差しを近づけ研ぎ澄ますことで」。ジーン・シモンズの夜の彷徨は脚本のうえではありふれているが、プレミンジャーは「眼差しの明察」によってここからシモンズの打ちひしがれた歩き方やソファーにうずくまる姿勢を発明している。ここにあるのは「心に訴えかける、自明さによって胸を引き裂くような、映画の現前」である。「映画とは何か。男優と女優、主人公と舞台装置、言葉と顔、手と物体の戯れ[jeu]にほかならない」。
 同号にはトリュフォーとともに行なったジャック・ベッケルへのインタヴューも掲載されている。ついで4月号でジャン・ルノワール、1955年1月号でアベル・ガンスへのインタヴューを同じくトリュフォーとともに行なっている。


ロッセリーニについての手紙」
 同1955年4月号掲載の長尺論文で批評家リヴェットの代表作。「わたしがロッセリーニをもっとも現代的な映画作家とみなすのは理由[raison]のないことではないが、理性[raison]にしたがってのことでもない」。『イタリア旅行』は「突破口をひらく。映画史のぜんたいにいまや死刑判決がくだされる」。「ロッセリーニの任意の作品を考えてみたまえ。ひとつひとつの場面、ひとつひとつのエピソードが、ショットとフレーミングの連続、おおかれすくなかれ輝かしい映像のおおかれすくなかれ調和的な継起としてではなく、ひとつの長大な旋律の章句、ひとつの途切れることのないアラベスク文様、ひとつの確固たる描線として記憶によみがえってくる」。つまりロッセリーニのうちに、メディウムのあらゆる束縛から解放されたかのようなマティスの軽々とした絵筆づかいが見てとられ、ストラヴィンスキーの奔放なフレージングが聴きとられているのだ。「モーツァルトには音楽がもはやおのれじしんをしか糧にしていないようにかんじられる瞬間がある」。ロッセリーニしかり。おのれいがいのなにものにもしたがうことのない徹底して自由な映画。



「あるアヴァンギャルド映画」
 トリュフォーら「カイエ」同人が執筆していた週刊誌「アール」(1955年9月7-13日号)への初の寄稿となるアストリュック『悪い出会い』評。
 アストリュックはドイツ表現主義アメリカの若手映画作家らを参照しているが、表面的な模倣ではなくそれらの原理に学んでいる。「アストリュックがムルナウとラングに学んでいるのは光と影の劇的な意味であるが、両者の葛藤によって人間たちの秘密を表現するためである。また、ショットに内在的な生命である。それは諸力の不安定な均衡を表現するためである。レイやブルックスやプレミンジャーから学んでいるのはあるしゅの明察、登場人物の偉大さへのあるしゅの希求、魂の高貴さへのあるしゅの志向、一言で言えばモラルである。ついでにオーソン・ウェルズからは偉大なシェイクスピア的な教訓を学んでいる。このしみったれた男女関係と堕胎の話にたいしてシェイクスピア的映画とは奇妙な形容であるかもしれない。ところが私はその形容に値するとおもっている。『上海から来た女』とかガンスの素晴らしい『ルクレチア・ボルジア』がそうであるのと同じ理由で。というのも、主人公の意識がたえず状況を凌駕し、あらゆる瞬間にドラマの場面を破裂させるような映画をほかに何と形容すればよいのか」。


ダグラス・サークの『自由の旗頭』」
 同9月28日ー10月4日号に掲載。サークはウォルシュの弟子たるに値する。


ホセ・ファーラーの『もず』」
 同10月5日ー11日号掲載。切り返し場面ばかりの平板な演出。


ニコラス・レイの『追われる男』」
 同号掲載。「『追われる男』の脚本を要約するのはむずかしい。筋書きの細部が極端に込み入っているからではない。重要な部分が登場人物の行動にも台詞にもなく、それらが隠しているもののうちに宿っているからだ」。あらゆるショットが「詩情」に貫かれ、ときとしてこの「詩情」のために物語話法上の効率さえが犠牲にされる。映画の基準を巧妙さとかサプライズにではなく「美」に求める人たちに心から薦めたい作品とされる。
 有り体に言えば出来がわるく退屈な映画という意味だろう。


ジョン・スタージェスの『日本人の勲章』」
 同号掲載。タイトルバックと30分置きに配されたアクションシーン、くわえてシネマスコープの美しさは一見の価値あり。


シドニー・ギリアットの『完全なる良人』」
 同10月12日ー18日号に無署名で掲載。フランス映画は曲がりなりにも存在するが、イギリス映画は存在していない。 


ジーン・ネグレスコの『足ながおじさん』」
 同号掲載。レスリー・キャロンがすべて。「かのじょがスクリーンにすがたをあらわすとあらゆる批評的な観点は消え去る」。
 リヴェットは1976年にキャロンとアルバート・フィニーを主役に『マリーとジュリアン』の撮影を開始するが、クランクイン三日目に現場を放棄。結局この企画は2003年に『Mの物語』として実現する。


アメリカ映画は再生する」
 同10月19日ー25日号掲載。ここ十年ほどのある「奇妙な現象」の指摘によって書き起こされる。フランスの批評家がアメリカ映画を理解できなくなったというのだ。かれらはアルドリッチブルックス、マン、レイの名前を知らない……。かれら(くわうるにウルマー、クワイン)はジャンルの垣根を軽々と踏み越える。かれらが忠実であるのはおのれじしんにたいしてだけだ。すなわち固有の主題やキャラクターや「文体」にたいしてである。


「絶対の探求」
 「カイエ」1955年11月号掲載。アストリュック『悪い出会い』再論。リヴェットはこの作品のために「若者による若者のための若者の映画」というキャッチコピーを振ってみせる。若さとは陽気さでも浮薄さでもなく厳粛さだ。『悪い出会い』の主題はこのことだ。厳粛さはおよそひとに好まれるテーマではない(「『ゲームの規則』『ブーローニュの森の貴婦人たち』)。映画を観にくるひとは表面的なディティールの観察は好きでももっと深い部分での「正確さ」は好きではない。『悪い出会い』の強みはまさにその「正確さ」だ。
 ロマン主義の小説は「修業時代」を主題としていた。20世紀の小説はこの主題を継承できなかった。この主題を受け継いでいるのはむしろ映画である。ヒッチコックの映画が英国小説の継続であり、ホークスの映画がスティーヴンソンの継続であるように、アストリュックは同時代の小説家が書けないでいる『感情教育』を撮ったのだ(アストリュックはじっさいにこの7年後に『感情教育』を映画化する)。
 「ぼくたちは芸術に何を求めるのか。ぼくたちを弁護してくれることをだ。定着させることで、芸術は証明する[prouver]。見せることで、芸術は証明する[démontre]。『悪い出会い』はぼくたちの目を迷いから開かせる。ぼくたちはパリを、パリのひとびとを、これまでまったく見たことがなかったように目にするのだ」。知られるとおり、これはいまではリヴェットじしんの映画を論評する際のひとつの決まり文句になっている!

 以下は本作を「形式主義的」とする批評にたいする反論。「アストリュックの技法[art]は小説家のそれとおなじく教育的である」。「アストリュックの描写は行き当たりばったりではなく一貫してひとつの抽象的な観念に導かれている」。この「隠れた建造物[architecture secrète]」は観者の導きの糸となる。これをたどって物語に身を委ねればけっして裏切られることもない。観者は想像をめぐらせたり解釈や詮索をこらしたりすることなく物語を文字どおりに受け取ればよいのである。とはいえこうした態度こそ現代人がその習慣を失ってしまった最たるものなのだ。もはや神も悪魔も信じていない現代人にはこの真理があまりにも耳障りなのだ。アストリュックの意図は驚かせることではなく説得することだ。離れ業を期待してはいけない。ただいっさいの偶然を排除した物語の厳密な進行をたどればよい。「芸術の世界は必然の世界である」。必然があらゆるもの[エモーション、美]の代わりをする」。「そして論理と正しさ[justesse]、描写の真実と建築の正確さ[précision]との調和から崇高さが生まれる」。ひとは本作がさまざまな「効果」を狙っているとする。とはいえ効果とは「崇高さへの意志の技術的な呼び名」である。ヒッチコックやラングやウェルズにあっては「効果の多用は生まれながらに偉大さを志向する魂の徴しであり、はずしたときにのみ効果は欠点となる」。「ここではあらゆるキャメラの動きが魂の動きにしたがっている。演出は徹頭徹尾、照応への信頼、存在から放たれるひそやかな輝き[effluve]への信頼、そうした輝きが映画の形態そのものにおよぼす精神の力への信頼の上にうちたてられている。この輝きの波動がキャメラを引き寄せたり突き放したりするのである。クレーン移動のこのような神秘主義は滑稽に見えるかもしれないが、諸観念のほとんど身体的な現実、諸観念の神秘的な闘争と親和、諸観念の絶え間ない運動(これが厳密な意味での叙情だ)を信じない者にはおそらくこの映画は理解不可能である」……。
 ほぼ無意味な言辞の羅列?あるいみで典型的な「作家主義」的批評。 



ジャック・リヴェットの映画批評集成(その3)

* Jacques Rivette : Textes critiques, édition établie par Miguel Armas et Luc Chessel, Post-éditions, 2018.

 Gazette du cinéma 終刊後、二年あまりのブランクを経て「カイエ・デュ・シネマ」への執筆が開始される。

「羞恥の新たな相貌」
 「カイエ・デュ・シネマ」1953年2月号掲載。同誌デビューとなるボリス・バルネット『豊穣な夏』評。
 「うわべだけ無邪気な映画であるとともにほんとうの、内奥の無邪気さをともなうこの映画がわたしはすきだ。世界およびソヴィエトという場所に向けられたバルネットの眼差しは無垢なるものの眼差しであるが、無垢な人の眼差しではない。バルネットはこの苛酷な(exigeante)純粋さを知っており、それを慎重にじぶんじしんの秘密のなかにしまい込んでいる。おそらくは残酷なこの世界にたいするもっとも貴重な抵当、もっとも確実な保証として」。「この映画の無邪気な外見は仮面か罠もしくはなんらかの防衛にほかならず、ときとしてあまりにもありきたりな見かけの下にひとつの謎を隠している」。


ハワード・ホークスの天才」
 同5月号掲載。「自明さはホークスの天才のトレードマークだ」「存在するものは存在する」という冒頭と締めくくりの一句はすっかり人口に膾炙している。


フーガの技法
 同8-9月号掲載の『私は告白する』評。ヒッチコックの職業的な秘密[秘訣]は同業者にしか理解できない。「われわれの時代のもっとも気高い思想が映画をとおして表出されることを選んでいるとしても、その思想がそのあとでなんらかの外国語に翻訳できるということではなく、映画というアートの外見そのものへの感受性をもたない人にはその思想は目に見えないままなのだ。映画の権能の日常的な実践をとおしてこそ映画作家はその思想をもっとも厳密に表現する。そのときもっとも内奥のものが一見してもっとも外部にあるもの、もっとも形式的な諸要素の使用と混じり合うのだ」。このような芸術の典型として挙げられるのはバッハである。「外的なものときわめてひそやかなものとの結びつき。ひとつのおもいがけない身振りが説明なしに露呈させるそのような結びつき」こそ映画なるものの定義である。ヒッチコックの芸術を一言で要約するなら、“きびしさ”(exigeance)ということになる。ヒッチコックの望むものはたえまのない不均衡状態だ。あらゆるショットに危険の予感が刻印されている。安易な解決を拒否し、「根本的な思想」を厳密に帰結に導く(これが“サスペンス”の謂である)。心のうちから魂に由来しない部分を抽出するという問題意識をヒッチコックルノワールおよびロッセリーニと共有している(これが「カタルシス」の謂である)。「笑わせるにはあまりにもコミカルな映画、感動させるにはあまりにも悲劇的な映画というものがある。[ヒッチコックは「極端さを処世訓とする」]そこではエモーションが押さえつけられ窒息させられる。ヒッチコックに関心があるのはさまざまな情熱ではなく、それを押し潰してそのうえにそれら情熱の偉大さを打ち立てるものである」。「人間そのものよりも人間を蝕むものに関心を向ける」「非人間的な映画」。「ヒッチコックにとって演出は身体[物体]の秘密に照準を合わせた倦むことなき武器である」。


「創意について」
 同10月号掲載の『ザ・ラスティ・メン』評。「ニコラス・レイはアイディア[観念]を惜しまない」。それは「演出のアイディア[さまざまな演出の観念]」だ。ただフレーミングやショットの並べ方においてのみ深遠なるものが宿り、それらのみがあらゆる芸術作品の目的であるひそやかな figure[形態] に到達する」。トリュフォーはレイとブレッソンを結びつけたが、それは「抽象」への強迫観念においてであろう。この強迫観念が狙いをつけるのはただこの「理想の顔」(くだんの figure)のみであり、「そこにすばやくたどりつくためには不器用さをも辞さないのだ」。『ザ・ラスティ・メン』においては「役柄」の観念および「場面」の観念そのものが、しばしばその観念の「実現(réalisation)」に優先されている。それゆえリヴェットは réalisateur ではなく metteur en scène と呼ぶことでレイへの敬意を表する。その瞬間その瞬間の「創意」がその都度「ただ一体の埋もれた彫像」を彫り出すための鑿の一撃となる。
 ニコラス・レイの映画全般についての有益な指摘に満ちた一篇。


「仮面」
 同11月号掲載の『たそがれの女心』評。オフュルスの複雑なテクニックはエモーションに横槍を入れようとする意図に発する。「なにほどかの冷淡さが心のもっとも奥深い豊かさの保証となる」。「浮薄」とおもわれているオフュルス作品は「容赦のない分析」であり、その「見せかけの優雅さ」は「厳粛さ」を隠そうとしていない。
 いまではわりと常識化しているオフュルス観が綴られる。


アンソニー・マンの『裸の拍車』」
 同12月号に掲載された短評。「努力、疲労アウトローたちのあらあらしいライバル関係、かれらの闘いや友情のはげしさといったものについてこれ以上に心をうつ映像は存在しない。ジェームズ・スチュアートロバート・ライアン、ラルフ・ミーカー、ミラード・ミッチェルのもっとも原始的な、しかしときとしてもっとも本質的なエモーションによって歪んだ厳格な顔相とジャネット・リーのとり繕うところのない童顔は、ただ汗や傷跡や不意の微笑みのまとう威光だけによって忘れがたいものとなっている」。
 同号には「オットー・プレミンジャーとの会見記」も掲載されている。


イングリッド・バーグマン
 同年のクリスマス増刊号「<女性>と映画」のために編まれた女優小事典の項目として無署名で発表された。
 「これほどの明察[lucidité]を極度の孤立[abandon]に結びつけ、魂のもっとも密やかな動きをも目に見えるものにし、魂のもっともすばやい流れをもダイレクトな証拠に変えてしまうことのできる女優がほかにいるだろうか。かのじょは罅のかけらさえない躍動をイメージとして伝えてくれる。心の躍動ということでもあるが、むしろ思考に結びついた感覚の躍動だ。かのじょにあってはもっとも身体的な不安[peur]が口にできない問いかけから切り離せない。罠にみちた見せかけ[apparences hostiles]の世界にとつぜん投げ入れられれば、かのじょはみずからが出会う謎となり、その謎をわれわれに差し出さずにはおかず、そのすえにいまや差し出すことのできるものといっては、あの倦むことなき歩行、かのじょの歩みの生まれつきの躍動に導かれているかのように数々の留[stations]を無意識裡にたどるあの行程しかのこっていない。そしてこの歩みがかのじょをわれしらず救済へと導くのだ。なぜなら、この歩みは愛、しかももっとも無慈悲な愛であるから。また、この歩みは慈愛、しかももっとも仮借のない慈愛であるから。『汚名』から『ストロンボリ』まで、『山羊座の下で』から『ヨーロッパ一九五一年』まで、イングリッド・バーグマンはうわべの神秘と[内奥の]魂の自明性との同じような結びつきを演じつづけているのだ。はんたいの道をたどりつつも同じようなわざ[art]をつかって、外見の曖昧さから真理をつかみとり、われわれの目の前に叩きつけているのだ。のみならず、精神の、あるいは世界の、あるいは心の苦難[troubles]をものともせずによこぎる同じように情熱的な歩み[démarche]とこれ以上ないくらい純粋な同じような大胆さとを」。



ジャック・リヴェットの映画批評集成(その2)

* Jacques Rivette : Textes critiques, édition établie par Miguel Armas et Luc Chessel, Post-éditions, 2018.


 『批評文集』は「批評文」「モンタージュ」(共同討議に基づく長尺論文)、「ポルトレとオマージュ」「未発表の著述」「秘密と法」(エレーヌ・フラパとの対話)の五つのパートで構成されている。以下、編年体で編まれた「批評文」各篇の内容紹介。


 1950年

「ぼくたちはもはや無垢ではない」
 モーリス・シェレールエリック・ロメール)の薦めにより「カルティエ=ラタン・シネクラブ会報」に寄稿された処女論文。
 「ぼくたちは修辞[テクニック]で窒息し中毒にかかっている。フィルムの表面にうつしとる映画(cinéma-transcription):シンプルな『エクリチュール』に回帰しなければならない」。「フィルムの表面にひとの生き方やものの存在の仕方がどうあらわれているか、各々の小宇宙がどううごいているかを単純に書き込むこと。冷徹に、ドキュメンタリー的に撮影すること。宇宙を生きるがままにさせておくこと。カメラを証人の役割、眼の役割だけにとどめておくこと。コクトーはまさに『無遠慮』という観念を提示している。最大限にくっきりと。『覗き魔』にならねばならない」。
 「宇宙と眼差しはともどもいっこの同じ現実である」「そこにおいては視覚(vision)が物質(matière)を創りだすようにみえ(ルノワールの移動撮影)、物質が視覚を含んでいるようにみえる」。そのようなひとつの不可分の現実以外はいっさいが「見世物」にすぎない。
 「なるほど映画は言語であるが、それは具体的な記号でできている」として、ポーランが<修辞>に対置するかぎりでの<テロル>が顕揚される。


ジャン・ルノワールの『南部の人』」
 シェレールの創刊した Gazette du cinéma に掲載。
 プラン=セカンス、インプロヴィゼーションといったかつてのトレードマークが影を潜め、いっけん無個性なスタイルに回帰したアメリカ時代のルノワールをおとしめる通念が告発される(手段を目的と取り違えることなかれ)。「ルノワールは純粋な存在の領域から脱け出した。いまや事物はなにものかであり、愛はいまや覚醒している[lucide]。精神はいまや自由で明快[clair]である」。つまり処女論文でいうところの「各々の小宇宙」の前におのれを虚しくする境地に達したということだろう。


アルフレッド・ヒッチコックの『山羊座の下に』」
 「秘密」というリヴェット的キーワードが導入される。ヒッチコックキャメラは人物の内面に入り込むことを控えている。
 演劇と映画、あるいは俳優というこれもすぐれてリヴェット的主題についての初の考察。映画においてはショットのなかのあらゆる要素がひとつの調和を形成しており、人間はその世界に「如何ともしがたく[irrémediablement]」埋め込まれている。こうした機械的厳密さゆえに映画俳優に固有の演技は「メカニックな演技」となる。
 「俳優の身体は演劇においては身振りとことばの抽象的な支えにすぎないが、映画においてはその肉としての生々しい現実をふたたびとりもどす」。「映画においてはたえず肉体に精神が宿りに来る。なにほどかの造形的な醜ささえこの映画の純粋に精神的な[moral]美を際立たせるに至っている」。ヒロイン、バーグマンの変容にそれがみてとれる。


ビアリッツ総括」
 映画祭の形骸化への失望が吐露される。


ビアリッツ映画祭の主要諸作品」
 『ある愛の記録』のアントニオーニはもっぱら俳優(acteur[演技者] ≠ comédien [役者])を中心に映画の世界をくみたてているがゆえに審美主義を免れている。
 「ニコラス・レイの映画の中心を占めるのもまた俳優である」。『暗黒街の弾痕』におけるラングの厳密な演出が運命の役割を演じていっさいの希望をシャットアウトしているのにたいして、「ヘミングウェイの文体の映画的な等価物」によって撮られている『夜の人々』において運命は俳優の顔の上にじかに読みとられる。


「オルフェの不幸」
 コクトー『オルフェ』の独自性は神話の世界と偶然性の世界の交錯にある。「『オルフェ』は断片的で未完のギャング映画だ」。コクトーに関心があるのは「美学」よりも「倫理」である。コクトーは初期の技法偏重主義を放棄した。ウェルズ『マクベス』やエイゼンシュテインの『十月』といった超絶技巧を凝らした映画においては「映画が自壊し、被写体への信用の拒否によって映画が被写体を殺害するに至っている」。
 スクリーン上では「魂」(精神)は「身体」(肉体)に還元され、身体以外のなにものでもない。「映画は完全に身体的な[physique]アートであり、身振りや外見のみが重要であるようにおもわれるが、素材=物質[matière]のかずかずの変遷[vicissitudes]をとおしてなにかが輝き出る」という逆説。「映画の美は目や耳ではとらえられない」(コクトーの引用?)。それは「精神的な[moral]美」である。 
 「映画は[演]劇的なアートである。そこでは宇宙が諸力の対立によって組織される。いっさいが決闘であり葛藤である。しかしおそらく映画はみずから[の演劇性]の否定において成就される。つまり凝視[省察]において」。遠心的なアートである演劇においては観者への「感染」が起こる。一方、映画が演劇的な閉鎖空間を必要とするのは、観者がそこで自らに向き合うためだ。そのいみで映画は「内的なアート」である。スクリーンは「精神」にちょくせつ対峙する。「私はスクリーン上で私自身のもっとも密やかな[secret]宇宙と向かい合うのだ」。


「アレクサンドル・ストルペルの『本当の人間』」
 「映画においてダンスは特権的な行為である。そこでは身体の全体が肯定されると同時に廃棄される」。
 「他のどんなアートにもまして映画は受肉の神秘に接近する術を知っている。たったひとつの動きによって身体[受肉]そのものを人間の贖いと化してしまう。人間と人間を超越するものとを親密で身体的な結合によって繋ぐことで」。
 Gazette du cinéma は本稿が掲載された第5号をもって終刊。このあとリヴェットは翌年創刊の「カイエ・デュ・シネマ」同人となる。



ジャック・リヴェットの映画批評集成

* Jacques Rivette : Textes critiques, édition établie par Miguel Armas et Luc Chessel, Post-éditions, 2018.

 生前、評論集の出版を拒みつづけていたジャック・リヴェットの『批評文集』がついに刊行された。

 ほぼ同時に刊行されたアンドレ・バザンの『全著作』(Ecrits complets, Macula)ともども、今後末長く映画狂のバイブルとして読み継がれる書になることは間違いない。盟友トリュフォーの撮影になる著者二十歳のポートレートを表紙にあしらった装丁もシック。

 すでに70年代末にイギリスで、ついで80年代末にドイツでそれぞれ発言集ないし評論集が編まれていたが、フランス本国では初(わが国でもさいわい代表的な文章である「ハワード・ホークスの天才」「ロッセリーニについての手紙」「おぞましさについて」には翻訳がある)。

 1950年、ルーアンからの上京直後にモリス・シェレール(のちのエリック・ロメール)の紹介によって Bulletin du ciné-club du Quartier latin に執筆された最初の文章から、「カイエ・デュ・シネマ」を離れる1969年までに発表された全批評文に加えて、ジャック・リヴェット財団のアーカイヴに保管された未発表の文章の一部を収めている。これらの一篇一篇に編者らによる丁寧な注がついている。巻末にはアーレント全体主義の起源』の仏訳者にしてリヴェットのスペシャリストでもあるエレーヌ・フラパによる1999年のロング・インタビューが収録されているが、こちらもほぼはじめて公にされるものであるようだ。

 ひさしぶりにリヴェットの文章をまとめて読み直してみて、その硬質にして明晰な文章の美を再認識した。同じく稀代の文章家であるトリュフォーとはまた別のいみできわめてフランス的な文章の書き手というべきだ。

 リヴェットの批評的探求のいっさいは、音楽(本書を通読するとあらためてそのメロマーヌぶりがわかる)をはじめとする現代諸芸術を参照しつつ映画におけるモデルニテの何たるかを見極めることにあった(フィルムアート社刊『シネレッスン vol.13 映画批評のリテラシー』参照)。

 このたびの集成中でもっとも注目すべき文章のひとつは、1955年から61年にわたって「ガリア」(商標)のノートにしたためられた未発表の草稿ではなかろうか。

 さながらヴァレリーの「カイエ」あるいはブレッソンの「シネマトグラフ覚書」(そのアフォリズム趣味)をおもわせる断章群。

 読者はここにあいかわらず明晰できわめて抽象度の高い言語によって綴られたリヴェット映画思想のエッセンスを読み取ることができる。本篇はまさに映画批評家映画作家リヴェットの方法序説だ。
 
 セルジュ・ダネーの提示する見取り図によれば、「カイエ・デュ・シネマ」における「作家主義」政策は、リヴェットをその最大の継承者とするバザン的な“見ること”の教育学とジャン・ドゥーシェらの解釈学的な方法論とを両輪としていた。

 とはいえ批評家リヴェットの出発点には、すでに世界に向けられたまなざしが無垢ではありえないという認識があった。二十歳のかれが最初に世に問うた文章はいみじくも「われわれはもはや無垢ではない」(Nous ne sommes plus innocents)と題されている。冒頭を引こう。

 「スティルレル、ムルナウ、グリフィスのこれこれの映画をこんにちあらたに見て驚くとともにまざまざとおもいしらされるのは、人間の身振りとか感覚によってとらえることのできる全宇宙の営みがまとう並外れた威光[l'exceptionnelle importance]だ。飲んだり歩いたり死んだりという行為がそこでは濃密で充実した意味を帯び、どんな解釈や限定をも超越した徴[signe]としてのあらあらしい自明性[la confuse évidence]をともなってたちあらわれる。いまではもはやこのようなものを映画のなかに探し求めても無駄だろう」。

作家主義」を主導する概念のひとつとしてリヴェットじしんが提示した「演出」(mise en scène)という概念は、まさにこうした喪失感に発している。

 世界に向けられた映画作家のまなざしは無垢ではありえない。映画を撮る行為にはある抽象化の操作がともなうのであり、映画作家は異化効果にも似たそのような操作をつうじて弁証法的に世界に到達する。

 手稿「『ガリア』ノート」(および同時期の草稿「現代映画について」)は「演出」という行為をサルトルから借用した métaphysique [形而上学=超物質主義]というタームによって説明している。いわく、脚本とか物語は物質的なものであり素材[matière]にすぎない。「演出」こそ「映画作家に許される唯一の形而上学の形式である」。

 かくてリヴェットの批評はいっしゅの哲学的相貌を帯びる。その思索はロメールに薦められて読んだアラン、そして独自に発見したジャン・ポーランにふかい影響を受けている。そしてその思索を導くのが本書の随所で出会うたとえば「観念(idée)」「外見(apparence)」「明察(lucidité)」(「フランソワ・トリュフォーあるいは明察」というやはり未発表の文章がある)「秘密」「自由」……といったキーワード群である。

 なお、「法」(ルジャンドル)「秘密」および「無垢」というキーワードのパズルのように愉しげな並べ替えの操作によって“なぜある映画が語るに値する映画であり、別のある映画がそうではないのか”というポーラン的(もしくはカヴェル的?)難問に挑んでいる巻末のエレーヌ・フラパとの対話も、禅問答をおもわせるようなきわめて抽象度の高い思索的なテクストとなっている。


 (à suivre)

エイジーの夜:『いまこそ名高き人たちをたたえよう』




 承前。

 ジェームズ・エイジーと写真家のコラボレーションといえば、いうまでもなく『いまこそ名高き人たちをたたえよう』(Let Us Now Praise Famous Men : Theree Tenant Famillies, 1941年)に遡る。

 かのライオネル・トリリングが「われわれのアメリカの世代のもっともリアルでもっとも重要な精神的試み(moral effort)」と形容する本書は、(広義の)アメリカン・アートの金字塔のひとつとして知られている。

 1936年、ニューディールのPRのため、Fortune 誌によって友人のウォーカー・エヴァンズ(エイジーをヘレン・レヴィットにひきあわせたのはかれである)とともにアラバマ州の綿花栽培地帯に派遣されたエイジーは、ルポルタージュ執筆のために地元の三つの家庭に「スパイ」として潜り込む。

 巻頭にエヴァンズの60葉あまりの写真が並べられ、それに400頁ほどのエイジーのテクストがつづくという構成はあるいみで A Way of Seeing とぎゃくである。

 A Way of Seeing のエッセーがレヴィットの写真に寄り添い、いわばそのキャプションの役割を果たしているのにたいし、『……たたえよう』ではエヴァンズの写真とエイジーのテクストとがせつぜんと切り離され、互いを参照しあうことがない。

 エヴァンズの写真に写っているもろもろの人物や建物がエイジーのテクストに登場するそれらと同一なのかどうかさえ読者には正確にはわからない。

 それゆえ、さきに写真家との「コラボレーション」と述べたのは、厳密にいえば正確さを欠いている。

 テキストのすくなからぬ部分を、エイジーバルザックフローベール(むしろロブ=グリエクロード・シモンというべきかもしれない)をおもわせる徹底した細密描写によって建物のつくりや部屋のようすや家族らの服装を逐一ことばに写し取ることについやしている。

 ここでエイジーはいわば言葉によってエヴァンスの写真にその“等価物”を対置しようとしている。もしくはそれにとって代わろうとしている。

 エイジーと親交を結んだジョン・ヒューストンはその自伝に書いている。

 「ジェイムズ・エイジーは真実を追究する詩人だった。外見はほったらかし、大切なのは誠実さだった。この誠実さを自分の生命以上に貴重なものとして彼は守りきった。真実への愛は妄執に近いところまでいっていた。『いまこそ名高き人たちをたたえよう』のなかに部屋のなかの細々したものを描写する箇所があるが、そこはこれが真実だと言わんばかりの精緻のきわみになっている。永遠のなかの一瞬、これらの物体は外接空間にたまたまこのような配列で存在している、というのが真実の実体であった。真実とは人に語りかける価値のあるものなのであった」(宮本高晴訳『王になろうとした男』)。

 ヒューストンの描き出すポートレイトによれば、エイジーは身なりにかまわぬ巨漢で、前歯が何本か欠けており、およそ「詩人」らしくみえなかったという(おもしろいことにエイジーもまたヒューストンのカバーストーリーにおいて、このボクサーあがりの監督の前歯が欠けていることを印象的に叙述している)。

 ここでいう「生命」とは「生活」といったいみあいであろうか? ジャック・ランシエールがいみじくも書いているように(Aisthesis : scène du régime esthétique de l'art, 2011)、エイジーの描写は雇い主が望んだお誂え向きの「貧困」、「悲哀」のイメージを見事に逸脱し、裏切る「美」に輝いている。おはらい箱になることを覚悟でエイジーは極貧地帯に生きる者たちの人間としての尊厳を同国人たちに伝えようとしたのである。本書の真の政治性はこのようなヒューマニズムにこそある。

 ヒューストンがいいあてたように、エイジーのとらえようとした「真実」は自然主義的ないみあいにおけるそれではなく、むしろ「詩」(もしくは哲学?)の範疇にあるなにかである。

 本書のなかでエイジーは「リアリズム」という言葉に留保を置いている。客観的な真実をキャメラは映し出すことができるかもしれないが、言葉は書き手の主観というフィルターによってその真実を歪めざるを得ない。

 そのかぎりで「ジャーナリズムの血となり精液となるのは壮大にして見事な嘘というフォルムである。法螺を吹くこのフォルムをジャーナリズムから取り去ってしまえば、すでにそこにジャーナリズムなどないのだ」。

 これはジャーナリズムの宿命であるが、欠点ではない。真実を伝える能力において言葉が写真よりも劣っているといういみではいささかもない。エイジーじしんのたとえていうごとく、いくら馬になりたいと願ったところで牛は牛のままなのだ。かくて『……たたえよう』におけるエイジーはジャーナリストとしての宿命に殉じようとした。ダイレクトな真実の提示はエヴァンスに委ね、じぶんは「嘘」をつきとおすことによってそれとは別種の真実を伝えようとしたのである。

 写真映像の伝える真実については、そのご、A Way of Seeing においてつぎのようにのべられている。

 「写真いがいのあらゆるアートがちょくせつアクチュアルな世界を利用するとき、アクチュアルなものはアーティストの創造的な知性によって変容を被ってあらたな別種のリアリティとなる。これを審美的なリアリティと呼ぼう。われわれがこの場で問題にしているような写真においては、アクチュアルなものはまったく変容を被らない。アクチュアルなものはキャメラに可能なかぎりでの正確さを保ったまま反映され、記録される。アーティストの義務は眼に見えている世界を審美的なリアリティに変えることではなく、アクチュアルな世界のさなかに審美的なリアリティを知覚することであり、創造のこのような運動がもっとも表現力にとむ結晶化をなしとげる瞬間の、生のままで(undisturbed)忠実な記録を残すことである。かくしてアーティストはかれの眼とかれのカメラをとおしてその素材に影響をおよぼすのだ。その素材は唯一無二の生存であり、それまでアーティストにとってかくもダイレクトでかくも純粋なかたちでたちあらわれることのたえてなかった宇宙を開示してくれ、ほかのあらゆる芸術的な創造行為においてひつようとされるのとおなじくらいほりさげられた(deep)創造的な知性ならびにスキル、知覚、訓練を要求するものなのだ。もっともその制約と豊かさの度合いはほかのアートにおけるのとは別様ではあるが」。


 Night was his time. ... The first passage of A Country Letter (page 34) is particularly night-permeated. ...

 エイジー死後の1960年に付された序文「1936年のジェームズ・エイジー」のなかで、ウォーカー・エヴァンズはエイジーの文章のなかに「夜」の匂いをかぎとっている。名うての nighthawk であったという事実にとどまらないエイジーの言語世界の本質を言い当てて見事である。

 写真や映画は光によって真実を照らし出す。ことばをなりわいとする者はひとり夜道を行く。『いまこそ名高き人たちをたたえよう』でわかれわかれの道を歩んだみちづれゆえの明察だろう。

 本書で南部の人や建物や家具に向けられたそのおなじ眼差しを、まもなくエイジーはスクリーンの世界に向けることになるだろう。

ジェームズ・エイジーの『全映画批評』(その2)



*James Agee : The Works of James Agee volume 5 : Complete Film Criticism (The University of Tennessee Press, 2017)


 ヘレン・レヴィットの写真集 A Way of Seeing に収録されたジェームズ・エイジーのテクストはお定まりの“巻頭エッセー”にとどまらない。

 本書が出版されたのはエイジー没後十年後である。生前、エイジーはレヴィットとともにこの写真集の企画を練っていた。本書はレヴィットとエイジーの共著とみなすのがふさわしい。

 レヴィットとエイジーは同じ時期に In the Street という短編ドキュメンタリー映画を共同制作している。やはりハーレムの路上ではしゃぎまわる子供たちを特権的な被写体とする同作は、 A Way of Seeing のふたごのきょうだいのごとき作品である。

 In the Street はつぎのような字幕とともにはじまる(おそらくエイジーの手になる可能性が高い)。

 「大都市の貧民街の路上は劇場であり戦場である。そこではかえりみられることも気づかれることもないあらゆる人間が詩人であり、仮面劇俳優であり、戦士であり、ダンサーである。そして街の喧騒にもかかわらずかれがその身に帯びる芸術性こそ人間存在そのもののイメージである。この短い映画はこのイメージをつかまえることを試みている」。

 写真集に話を戻すと、筆者の手元にあるペーパーバック版(1989年刊)には86葉の写真が収録されているが、オリジナル版は68葉で構成されていた。

 初版本は装丁も凝りに凝った美しいものであったようで、ポラックの『コンドル』でフェイ・ダナウェイ演じる人物の部屋にも飾られているらしい。
 
 作品には通し番号が付されており、エイジーは番号のみを挙げて個々の作品をコメントしている(『全映画批評』には図版は収録されていない)。

 エイジーは作品1から作品68までの流れのなかにひとつの壮大なストーリーを読み込んでいる。

 写真の配列にエイジーのアイディアが反映されているかどうかはさだかではないが、ひょっとしたらエイジーのテクストがまずあり、それに合わせて写真を配列したのかもしれない。

 作品1は木のプレートのようなものに子供が描いたとおぼしき顔の絵を写している。エイジーはこの顔を太陽に見立てている。これはさながら人間の誕生以前の世界である。

 ついで作品2と作品3はアスファルトにチョークで描かれた先史時代の洞窟画のようないたずら書きである。

 そして作品4に至ってはじめて人間が登場する。ヴェールで顔をすっぽりと隠し、前掛けに刃物のような「武器」を忍ばせた少女(?)である。

 写真集の大半を占めるのは路上で遊ぶ子供の写真である。ここにエイジーは人類の幼年時代を重ね見る。

 しかし微笑ましいスナップショットのところどころに差す翳りをエイジーの筆は見逃さない。暴力、孤独、セックス、死を暗示させるディティールがいたるところに写り込んでいる。

 かくて人類は無垢を喪失する。もしかしたらエイジーにとってそのような無垢の喪失を象徴するものは核兵器の存在だったかもしれない。

 エイジーは敬愛する晩年のチャップリンに核戦争後の世界を舞台とする映画のシナリオ(“The Tramp's New World”)をオファーしたが、却下されたという有名な逸話がある。
 
 しかしエイジーは、写真集の終盤に登場する腕に抱いた孫と思しき赤子の顔を覗き込んで微笑む老人の笑顔に人類の楽天的な未来を読みとっている。

 写真集の掉尾を飾る作品68はアパートの前に立ちホースで水を撒く老女を写している。

 「最後の写真ほど完璧なまでに雄弁に、優雅で、偉大で、まばゆいばかりの幸福と愛らしさを伝えるイメージをわたしは知らない。それは愛情をこめた奉仕がその祝福によってもたらすものである。どんな作家も画家も俳優もダンサーも、あるいは音楽家も、婦人の腕の庇護するような寛大なさまや、微笑む顔の傾げ方と口調(voice)や、立ち姿やたたずまい全体を表現することはできないだろう。これらのものはまた、どんなよろこびや美しさをも超越している。そうしたよろこびや美しさを経験することができ、具現することができる者がひょっとしてあるとしたら、それは子供だけだろう。かのじょは生の甘美さでもあれば、死のやさしさでもある。肉の世界のさなかにおいて勝利を謳いあげる魂である。無垢の救済でありその不滅である」。

 このときエイジーの想念にリュミエールの水撒き人が浮かんでいたかどうかはさだかではないが、ボードウェルのいうエイジー一流の「ロマン主義」がここにはっきりと読みとれる。

 「視覚の能力の純粋化」が人類を解放し、救済するとかんがえるのは愚かであると認めつつ、エイジーは映像こそが「正気と好意と落ち着きと諦念(acceptance)と喜び」を人類にとりもどしてくれる近道であると信じようとしている。

 「ゲーテは書いている。考えることはよいことだ。もっとよいのは、見て、そして考えることだ。いちばんよいのは考えずに見ることだ。ここに収められた写真たちをみれば、かれの言わんとしていたことがよくわかる」。

 これが締めくくりの一文である。(つづく)

ジェームズ・エイジーの『全映画批評』



 *James AGEE : Complete Film Criticism : Reviews, Essays, and Manuscripts (Edited by Charles Maland, The University of Tennessee Press, 2017)

 全十一巻が予告されている「ジェイムズ・エイジー著作集」(The Works of James Agee)の5巻めに当たる『全映画批評』がテネシー大学出版局から刊行された。索引を合わせると千ページを越す大冊である。

 エイジーの映画論集としてはこれまで、死後まもなく刊行された Agee on Film に加え、同書に未収録であった文章の大半を併録した Film Writing and Selected Journalism (The Library of America, 2005) があった。

 Agee on Film 中道左派知識人向けの The Nation に寄稿された記事中心に編まれ、より大衆的な Time に掲載されたウィッティな記事の多くを落としていたこと、同書の刊行時にマニー・ファーバーがこの編集方針に疑義を呈したことはすでにこの場で述べた。

 『全映画批評』の編者チャールズ・マランドによれば、その原因のひとつは、Time では文体上の縛り(“Time-ese” phrases)を課されていたことに加え、映画批評欄が複数の評者によって受け持たれており、そのなかからエイジーの単独で執筆した記事を特定するのがときとしてむずかしいことにあったようだ。

 マランドはTime 掲載の文章のうち、これまでエイジーの筆になるものとされてきながらじっさいにはそうではなかった十余篇を割り出し、今回の集成からは除外している(グリフィス論、『黄金狂時代』論など)。

 さらにテキサス大学およびテネシー大学に保管された遺稿を精査し、未刊行の記事や一部の草稿を併録しているのがセールスポイントとなっている。

 そのなかには、ルネ・クレール『明日を知った男』についての長文の批評やバルデッシュ&ブラジヤックの『映画史』英訳書の書評、エイゼンシュテインをとりあげたカバーストーリーの草稿などが混じっている。

 そのほか、すでに世に出ていたけれどもこれまで映画論集には収録されていなかったものとして、エイジー17歳のみぎりの最初の映画批評(『最後の人』論)や、より興味ふかいものとしては、1965年に刊行されたヘレン・レヴィットの写真集 A Way of Seeing に収録されたエッセー(執筆は1946年)がある。

 後者はちょくせつ映画を扱った文章ではないが、このエッセーを収録した『全映画批評』編者の見識をジョナサン・ローゼンバウム(Film Comment ニューズレター)とともに高く評価したい。

 エイジーはヘレン・レヴィットと共同で[セミ・]ドキュメンタリー映画を二本制作しており、それらは当然のことながらレヴィットの写真集ときわめて類縁性の高い世界観を提示している(ともに1948年の In the Street および The Quiet Oneシドニー・メイヤーズの演出した後者はアカデミー賞候補にノミネートされた)。

 それだけではない。このエッセーはエイジーのもっとも理論的な文章といえ、視覚芸術についてのかれの根本的な思想が明確によみとれる点でもきわめて貴重である。

 エイジーにとって本エッセーはさながらアンドレ・バザンにとっての「写真映像の存在論」といえはしまいか?

 二人のもっとも偉大な映画批評家のもっとも根本的なテクストがともに写真を題材に選んでいることは偶然ではない。

 『叙事詩人たち』(The Rhapsodes : How 1940s Critics Changed American Film Culture, The University of Chicago Press, 2016)において、デヴィッド・ボードウェルはエイジーを“ロマン主義者”と位置づけている。

 いわく、「おおくのロマン派とおなじく、芸術家エイジーは日常的な世界のなかに超越的な美を探求した」。

 本エッセーにはエイジーのこうした(バザン的ともいえる)一面が如実に現れている。

 このエッセーについては稿を改めてコメントしたい。

 チャールズ・マランドによる『全映画批評』の長大なイントロダクションには、職業的な映画批評家としてのエイジーについて知ることのできるあらゆる情報が盛り込まれている。

 たとえば、Time の専属批評家であった頃のある一週間にかれがどの会場でどの時刻にどの映画を見ていたかがリストアップされ、当時の文字あたりの報酬までが具体的に示されたりする。

 かれの批評をめぐる毀誉褒貶についても頁が割かれる。ファーバーからサリス、ケイル、シッケルを経てボードウェルにいたるまでの同業者らによる賛辞。あるいはぎゃくに、共産主義への幻滅を吐露したカーティスやドンスコイ作品への否定的な評価が The Nation 読者のあいだに掻き立てた反発……。

 ジョナサン・ローゼンバウムはマランドがエイジーのうちに「カイエ」=サリス的な「作家主義」の先駆を見出そうとすることがエイジーの批評の本質を覆い隠すことにつながりかねないと懸念している。

 ローゼンバウムによれば、エイジー映画作家の自己表現よりも、俳優の身振りや作品の雰囲気や画面の視覚的な肌理といった要素に敏感であったのだ。