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精神分析と映画をめぐる読書案内

独裁者としてのリンカーン:トランプの時代に読むソロー(その8)

2017/03/28 トランプのオバマケア撤廃法案が議会によって事前に葬り去られました。 アメリカの三権分立主義のとりあえずの勝利といえましょう。 さて、ソローです。 ソローがジョン・ブラウンの違法行為を公然と支持したことについてはすでに述べました。 ジ…

プチ隠遁者としてのソロー:トランプの時代に読むソロー(その7)

2017/03/22 ソローは森にひきこもりました。 けれども二年と二ヶ月の後にその森を後にしました。 それもみずからの意志でです。 一般に、ソローは“森に入った人”と考えられていますが、“森を出た人”でもあることをわすれるべきではないでしょう。 そこがソロ…

ソローと反知性主義:トランプの時代に読むソロー(その6)

2017/03/20 トランプ当選の余波で森本あんり氏の『反知性主義』が部数を伸ばしているようです。 同書で森本氏は、その「独自の近代知性批判」を以て、ソローが反知性主義の伝統の「一角を占めるかもしれない」としています。 アメリカの反知性主義は、入植者…

ソローからウィトゲンシュタインへ:トランプの時代に読むソロー(その5)

2017/03/16 ソローは民主主義の先にある政治形態として、「個」にもとづく体制を夢想しています。 ソローは絶対君主制から立憲君主制、そして民主制への移行を“発達”として捉えているようにみえます。つまり、諸体制をヒエラルキー化し、現時点での最良の形…

ジョン・ブラウンからアンティゴネーへ:トランプの時代に読むソロー(その4)

2017/03/05 ジョン・ブラウンは奴隷制を認める政府を、神の名の下に破壊しようとしました。 絞首刑に処されたジョン・ブラウンの行為は、同じく縊死したもうひとりの反逆者の運命を思い起こさせます。 ギリシャ悲劇のヒロインで、オイディプスの娘であるアン…

ソローと西部劇:トランプの時代に読むソロー(その3)

2017/03/04 ハリウッドの“良識派”がしきりにトランプにかみついていますが、売名行為にしかみえません。 人種間の比率をクオータ化(?)すれば“多様性”が保てるとでも言うかのようなアカデミー賞をめぐる単細胞的デマゴギーにも心底辟易します。 閑話休題。…

誰がアメリカン・スピリットを殺したか?:トランプの時代に読むソロー(その2)

2017/03/02 つい数時間前のこと、トランプは施政方針演説において「アメリカン・スピリットの復活(renewal)」を唱えました。 トランプがいかにアメリカン・スピリットを葬り去ろうとしている張本人であるかについては前号でお示ししたとおりです。 みずか…

トランプの時代に読むソロー(2017/03/01)

トランプ退場はトランプ主義の終焉を意味するものではありますまい。2017年3月に別の場所に書いた文章をこの機会に再掲します。 「アメリカ・ファースト」を唱えるトランプほど反アメリカ的なアメリカ人はいないでしょう。 トランプがほんらいのアメリカ的な…

ジャン=クロード・ミルネールを読む(その3):『知のユダヤ人』

*Jean-Claude Milner : Le Juif de savoir (Grasset, 2006) 反ユダヤ主義はいっしゅの反知性主義(そういうことばは使われていないが)であるとの指摘から説きおこされる本書は、2004年から翌年にかけてレヴィナス研究所でおこなわれた「偶像としての知」と…

ジャン=クロード・ミルネールを読む(その2):『民主主義的ヨーロッパの犯罪的性癖』

*Jean-Claude Milner, Les penchants criminels de l’Europe démocratique, Verdier, 2003. 「“問題/解決”という図式がヨーロッパにおける“ユダヤの名”[=ユダヤ性]の歴史を規定してきた」(裏表紙)。ミルネールが本書で証し立てようとするのはこのテー…

ジャン=クロード・ミルネールを読む(その1):『フランス革命再読』

*ジャン=クロード・ミルネール『フランス革命再読』(Relire la Révolution, Verdier, 2016) 今世紀に入り、フランス革命再読の必要が高まっている。9.11テロは、革命なしに世界を変える出来事が起こりうる可能性を示した。これまでの世界を支配していた…

ドミニク・ラファンという女優:クレマンティーヌ・オータン『愛していると伝えて』

*Clémentine Autain : Dites-lui que je l'aime (Grasset, 2019) 1970年代後半から80年代前半にかけて繊細で独特の美貌と強烈な存在感を放ちつつスクリーンの世界を駆け抜け、三十三歳で謎の死を遂げた女優ドミニク・ラファンは、ある世代の若者たち(筆者…

ヘーゲルと映画:アラン・バディウ『諸真理の内在性』

Alain Badiou : L’immanence des vérités L’être et l’événement, 3, Fayard, 2018. 昨年刊行された『諸真理の内在性』の最後から2番目の節において、アラン・バディウはヘーゲルにおける映画の予見、もしくは両者の出会い損ないについて興味ふかい考察をお…

ジルベルト・ペレスの遺稿:『雄弁なスクリーン』

Gilberto Perez : The Eloquent Screen ― A Rhetoric of Film (University of MInnesota Press, 2019) 名著『物質的な幽霊― 映画とそのメディウム』(The Material Ghost : Film and Their Medium , Johns Hopkins University Press, 1998)で知られるジルベ…

ジャック・リヴェットの映画批評集成(その8)

* Jacques Rivette : Textes critiques, édition établie par Miguel Armas et Luc Chessel, Post-éditions, 2018. 1963年7月号からリヴェットはロメールの後を襲い「カイエ・デュ・シネマ」編集長をつとめる。『批評文集』編注によれば、つぎに挙げる記事…

ジャック・リヴェットの映画批評集成(その7)

* Jacques Rivette : Textes critiques, édition établie par Miguel Armas et Luc Chessel, Post-éditions, 2018. 「腹に魂を」 「カイエ・デュ・シネマ」1958年6月号掲載の『夏の遊び』評。「批評は概してさまざまな外見の分析にすぎない。とはいえあらゆ…

ジャック・リヴェットの映画批評集成(その6)

* Jacques Rivette : Textes critiques, édition établie par Miguel Armas et Luc Chessel, Post-éditions, 2018. 「手」 「カイエ・デュ・シネマ」1957年11月号掲載の『条理なき疑いの彼方に』評。かつての筋骨隆々できびきびしたスタイルに比べると骸骨…

ジャック・リヴェットの映画批評集成(その5)

* Jacques Rivette : Textes critiques, édition établie par Miguel Armas et Luc Chessel, Post-éditions, 2018. 「アジェジラスの後に(演出)」 「カイエ・デュ・シネマ」1955年12月号掲載の『ピラミッド』評。作家主義の別名であるヒッチコック=ホー…

ジャック・リヴェットの映画批評集成(その4)

* Jacques Rivette : Textes critiques, édition établie par Miguel Armas et Luc Chessel, Post-éditions, 2018. 承前。「演出家の時代」 「カイエ・デュ・シネマ」1954年1月号掲載。『聖衣』の公開を受けたシネマスコープ考。画面の奥行きが「不条理」の…

ジャック・リヴェットの映画批評集成(その3)

* Jacques Rivette : Textes critiques, édition établie par Miguel Armas et Luc Chessel, Post-éditions, 2018. Gazette du cinéma 終刊後、二年あまりのブランクを経て「カイエ・デュ・シネマ」への執筆が開始される。「羞恥の新たな相貌」 「カイエ・…

ジャック・リヴェットの映画批評集成(その2)

* Jacques Rivette : Textes critiques, édition établie par Miguel Armas et Luc Chessel, Post-éditions, 2018. 『批評文集』は「批評文」「モンタージュ」(共同討議に基づく長尺論文)、「ポルトレとオマージュ」「未発表の著述」「秘密と法」(エレー…

ジャック・リヴェットの映画批評集成

* Jacques Rivette : Textes critiques, édition établie par Miguel Armas et Luc Chessel, Post-éditions, 2018. 生前、評論集の出版を拒みつづけていたジャック・リヴェットの『批評文集』がついに刊行された。 ほぼ同時に刊行されたアンドレ・バザンの…

エイジーの夜:『いまこそ名高き人たちをたたえよう』

承前。 ジェームズ・エイジーと写真家のコラボレーションといえば、いうまでもなく『いまこそ名高き人たちをたたえよう』(Let Us Now Praise Famous Men : Theree Tenant Famillies, 1941年)に遡る。 かのライオネル・トリリングが「われわれのアメリカの…

ジェームズ・エイジーの『全映画批評』(その2)

*James Agee : The Works of James Agee volume 5 : Complete Film Criticism (The University of Tennessee Press, 2017) ヘレン・レヴィットの写真集 A Way of Seeing に収録されたジェームズ・エイジーのテクストはお定まりの“巻頭エッセー”にとどまらな…

ジェームズ・エイジーの『全映画批評』

*James AGEE : Complete Film Criticism : Reviews, Essays, and Manuscripts (Edited by Charles Maland, The University of Tennessee Press, 2017) 全十一巻が予告されている「ジェイムズ・エイジー著作集」(The Works of James Agee)の5巻めに当たる…

ジャン=ルイ・コモリの「イスラム国」映像論:『ダエシュ、映画、死』

*Jean-Louis Comolli : Daech, le cinéma et la mort (Verdier, 2016) 「イスラム国」(以下、ダエシュ)の勢力がすくなくとも地理的には縮小しつつあると報じられるきょうこのごろ。 ところで、ダエシュを未曾有の勢力たらしめたのはなにか? 映像である。…

パーカー・タイラーを読む(その8)

(承前) パーカー・タイラーのエッセー Charade of Voices のさいごのパートは「アンチクライマックスの声」と題されている。 考察の対象となるのはディズニーの音楽アニメーション「メイク・マイン・ミュージック」シリーズの一篇『くじらのウィリー』。 …

パーカー・タイラーを読む(その7)

パーカー・タイラーのエッセー Charade of Voices のつづきをよんでいこう。 「Voices that no speakee…」という翻訳不可能な標題の下に論じられるのは、アクセントが異人種であることの符牒として用いられるケース。 『キスメット』のジェームズ・クレイグ…

パーカー・タイラーを読む(その6)

(承前) 「告げ口屋の声(Tattle-tale voices)」。 女優ベティ・デイヴィスのキャラクターは『人間の絆』におけるヒロインの「声」によって固まった。その whinking, snarking, shrewish tones がデイヴィスをして皮肉屋、the legendary cat of colloquial…

パーカー・タイラーを読む(その5)

Charade of Voices というエッセーのつづきをよんでいく。 「谷と山と平原からの声」と題されたパートでは、「ヒルビリー、ディープ・サウス、カウボーイ」の類いにカテゴライズされる俳優たちが扱われる。 ウィル・ロジャースやゲイリー・クーパーの「ナチ…