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精神分析と映画をめぐる読書案内

ジャック・リヴェットの映画批評集成(その8)

* Jacques Rivette : Textes critiques, édition établie par Miguel Armas et Luc Chessel, Post-éditions, 2018.

 1963年7月号からリヴェットはロメールの後を襲い「カイエ・デュ・シネマ」編集長をつとめる。『批評文集』編注によれば、つぎに挙げる記事は雑報欄にひっそりと発表されたが「批評家リヴェットの後期を画するマニフェストとはいわないまでも社説というべき文章になっている」。


「『殺人狂時代』再見」
 「カイエ・デュ・シネマ」8月号掲載。「映画の規則と例外がそこから出てくるような映画の純粋状態[即自]というものは存在するか。そういう議論がなされればなされるほど、わたしはますますそういうものの存在を信じられなくなる。映画とはつまるところ[個々の]映画作家たちが為すこと[のひとつひとつ]である。そしてエイゼンシュテインブニュエルチャップリンが『例外』であったとしても、例外こそが[映画の]特異性を基礎づけるのだ。バッハやシェーンベルクはかれらじしんの音楽言語を探求していたのであって、普遍的な音楽書法を構築しようとしていたのではない。ミケランジェロは絵画の役に立とうとしていたのではなく、絵画(あるいは映画)をじぶんの役に立てようとしていたのだ。芸術は探し求められる[courtisé 言い寄られる]ものではなく掴みとられるものだ」。
 「映画の目的とは何か[『ジャンヌ・ダルク裁判』論参照]。スクリーンに映し出された現実の世界が同時に世界についてのひとつの観念となることだ。世界をひとつの観念として見なければならない。世界を具体的なものとして考えなければならない」。世界と観念のいずれを出発点に選んでも、他方にたどりつけないリスクがある。しかし観念は「骸骨」ではなく「動的な形態[figure]」であり、その運動の正確さと内的な弁証法によって徐々に具体的な世界を眼前に再創造する。もうひとつの世界であり、説明された世界ではあるが、受肉された観念であると同時に、意味に貫かれた現実[réel]であるという二重性をもつ。これはまた、観念なるものがすでに世界の観念であり、概念的な視覚(スペクタクルないしメタファー)であるということでもある。ひとつの<映像=観念>(たとえば一部屋に閉じ込められた招待客たち、兎のように地面を転がるハンター、修道院に面した死刑台)はひとつの『登場人物』であり、登場人物のようにさまざまな矛盾をかかえていて、映画はこの矛盾の方法的な解明[dévoilement]なのだ[このあたりドゥルーズの「概念的人物」に繋がる発想?]。ヴェルドゥーの夥しい意味作用は舞台上の演技にというよりもこの演技を生み出す俳優の器用さに宿っている。すなわち主演俳優の『演技』[作用]をめぐる演出であり、この演出はこの演技と一体となる。というのも俳優の行動はたえざる創造であり、原動力の中心であるとともに眼差しでもある。チャップリンは動き[agir]、動かし、またみずからが動くのを見、他人をとおしてみずからの行為を見る。かれはスクリーンの空間のなかに意味の爆発を組織し、われわれ[観者]への影響に基づいて判断されたひとつの動き[agir]を実験する。これは科学者の方法だ。チャップリンブニュエルルノワールはともども現在の『科学の時代』の落し子である。[……]人間はかれらにとって研究と実験の対象であるが、その人間とはまずもってかれらじしんである」。つまりチャップリンにあっては「じぶんじしんの神話をじぶんのキャラクターにくみこみ、じぶんの『伝説』をじぶんの神話にくみこみ、大文字の『歴史』をこの伝説にくみこんで、ひとつの連鎖反応のシステムによって、新たな身体を獲得すること」である。このプロセスは「対象の再構成であるが、『この再構成において対象の諸機能を明らかにする』ことをともなう。これはバルトによる構造主義的方法の定義であり、この方法があらゆる現代芸術の原理となっている」。「チャップリンがじぶんの演じている役柄から突如として身を退けること」によって[その役柄に]意味作用が生じる。この身振りはブレヒト、フォートリエ、ブーレーズにも共通している。「こうして意味が到来し、刻み込まれる。作品はこの到来の運動をとどめている。作品はこの到来の運動であり、この運動を確証し、再開する」。
 読まれるとおり、バザンのチャップリン論を独自の視点から読み直した論文。つづく9月号でリヴェットはロラン・バルトへのインタヴューを行なっている。映画の「ゼロ度」についての本稿冒頭の問いがバルト的なそれであることはいうまでもない。


ジョルジュ・フランジュの『ジュデックス』」
 同11月号掲載。「白と黒、それらのニュアンス、それらのコントラスト、それらの戯れと闘争、これがまさに『ジュデックス』の主題だ。とはいってもその彼方になんらかの参照項や抽象的な意味があるわけではなく、ただその外見のうちにのみその主題は宿る」。「外見以外はなにもない。とはいえあらゆる外見がその出現[apparition]の、その誕生の、その『発明』の運動そのもののうちにある。映画の起源にある秘密がいまや秘密でなくなったかのようだ。とはいえ同時に驚かされるのは、フランジュはその知識[術]によってこの秘密を再発見する人であると同時に、この秘密が失われてしまったことを知っている現代人でもあることだ」。
 同号の「ミュリエルの不幸」にも著名がある。


「121名の監督辞典」
 同1963年12月号から1964年1月号にわたる特集「アメリカ映画の現状・II」に、それに先立つ「アメリカ映画の現状」特集号(1955年)で編まれた小事典の増補改訂版が掲載された。以下はその項目。

ジョン・カサヴェテス
 「カサヴェテスは狡猾な男を演じているお人好しだ。かれは狡猾なお人好したちや醒めた馬鹿正直者たちを撮る。かれらはパンチを喰らうのがこわいあまりあせってパンチを食らわせる。グルになった臆病者たちのマリヴォー劇」。

シャーリー・クラーク
 「アメリカの伝統である身体的な映画の感性を現在に受け継ぐ」。同特集に掲載されたアンケート「アメリカのトーキー映画ベストテン」の一本にリヴェットは『クール・ワールド』を挙げている。

モーリス・エンゲル
 「諸君[観衆]は存在しない。諸君を気になどするものか(視野の隅には入っているらしい)」。

ジョン・フランケンハイマー
 「信じがたいが真実だ」。ヒッチコックならぎゃくに「真実だから信じがたい」とするだろう。

ヘンリー・ハサウェイ
 『失われたものの伝説』は「野生状態のボルヘス」。

ジョン・ヒューストン
 ヒューストンを挿絵画家とみなすのが正しい。下手な作為は本の美麗さを損なう。

エリア・カザン
 「カザンがまず描こうとするのは有機的なもの、生物学的なもの、身体的なものだ」。初期の映画においては死に体になりながらももちこたえている生命活動[le vital]が描かれたが、ここ数年で生命活動そのものが主題に躍り出た。つまりはじめて「映画」になった。

アイダ・ルピノ
 「どんなストーリーを物語ることにもことごとく失敗している。策略があまりにもナイーヴなのにたいしインパクトは絶大なので、人の心を打ちはするがいつもそのタイミングを外している。かのじょの強みは、じぶんがつくりだした状況の犠牲者になる無防備な[désarmée]もしくは憎めない[désarmante]女性のポートレートをほんのいくつかの身振りだけから描いてみせることだ」。

ロバート・マリガン
 「クラレンス・ブラウン流のワンパターンな同軸上の繋ぎ」。戦前ならMGMの大監督としてひと財産築けただろう。現在かれは製作者として財産を築いている。

ラッセル・ラウズ
 極端なシチュエーションへの執着がたまにツボにはまって一瞬、絶妙のナンセンス描写を生む。

ドン・シーゲル
 傑作『殺し屋ネルスン』のドライなタッチは純粋な詩。「『ネルスン』はひとつの謎であるが、スフィンクスはいない」。シーゲルは「映画作家」ではないということらしい。

ジャック・ウェッブ
 愚直さ[無邪気さ]が創意の代わりをしている。


ジャン=ピエール・メルヴィルの『恐るべき子供たち』」
 同1964年2月号のコクトー追悼特集に寄せられた記事。コクトーのストーリーラインはお伽話のそれである。それは劇的な進行にも小説的な進行にもしたがわず、かれの偏愛する北斎の一筆書きさながらに、「単声によって」どこまでも伸びていく。その到達点は「語り手[作者]」にも読者にもあらかじめわかっている。その安心感があらゆる逸脱を許容する。物語のひとつひとつの瞬間は伝統的な物語話法の「重々しさ」を逃れてじぶんじしんにたいしてしか責任を負っていない。ひとつひとつの挿話、ひとつひとつのショットが終わりまで徹底的に「演じ」きられる。「無主題主義[アテマティスム]」もしくは「アンフォルメル」。物語の進行と語り手の声とは調和どころか「不調和」を奏でている。「声が映像を告発し、事物が言葉を告発する」。そこに謎が出現する。「かれが撮るのは語ることができないからだ。とはいえ撮ることができずにかれは新たに語らねばならない。この振り子の戯れ、たえまのない往復のさなかに、この戯れと往復が穿つ亀裂や空洞のただなかに、溶けた雪玉の真実、飲み込んだ毒の真実、気絶した詩人の真実、とはいわないまでも、その真実の不在と無という真実を書き込むために」。


「マックスが食い尽くす」
 同号掲載。マックス・ランデール上映会のレポート。舞台挨拶に立ったルネ・クレールが「またぞろ」チャップリンをディスった。「いくつかのギャグを盗まれたことをいまだに許せないのだろうが、もっと許せないのは『自由を我等に』で誰も笑わなかったその同じギャグが『モダンタイムス』では全世界を笑わせたことだ」。これにたいしクレールがリヴェット宛に送りつけてきた抗議の書簡とそれへの回答が掲載されている。
 同号にピエール・ブーレーズへのインタヴューも掲載。


スウェーデン対フランス:2対0」
 同4月号でブニュエルの『小間使いの日記』をめぐる討議に参加したあと、5月号に執筆された。スウェーデンが税制上の映画優遇措置を導入したことでフランスに差をつけた(前半戦)。国が『沈黙』にハサミを入れる方針を示したことでフランスは「後半戦」をも落とす。


「女性単数」
 同6月号でクロード・レヴィ=ストロースへのインタヴューを行なったあと、10月号に掲載されたマルコ・フェレーリ『猿女』評。「フェレーリは人の気をひくものや人を納得させるものを念入りに消し去り、感情移入を促すための伝統的ないっさいの作為を『厳格に』拒否し、じぶんが写しているものの(それはそれはまったく揺るぎのない)ロジックだけしか信じまいとしている」。とはいえ素材そのものがそのような中立性を拒否している。


「あらり」
 同1965年2月号掲載された短いメッセージ。パリじゅうのジャーナリストが『ゲアトルーズ』を八つ裂きにしようと発揮しているしつこさとたのしみは批評ではなく餌の分捕り合いにこそふさわしい。批評家とは犬なのか。そのとおりだ。


「パリでのロードショー公開作品」の短評
 1965年3月号から1969年10月号までのあいだに散発的に執筆されたレヴュー。批評家リヴェットの最後の文章はドキュメンタリー『神はパリを選んだ』評である。
 1965年12月号ではマルセル・パニョルおよびそのスタッフ、1968年2月号ではヴェラ・ヒティロヴァへのインタヴューに、68年5月にはラングロワ事件の記者会見に参加。1969年11月号でジャン・ナルボニとともにマルグリット・デュラスへのインタヴューを行なったのを最後に「カイエ」を去る。