alacantonade

精神分析と映画をめぐる読書案内

フランスで刊行された二冊の西部劇事典

*Patrick Brion : Encyclopédie du western 1903-2014, Télémaque, 2015.
Claude Aziza et Jean-Marie Tixier : Dictionnaire du western, Vendémaire, 2015.

 昨年のフランスの出版界は、西部劇のちょっとした当たり年であったといえる。一昨年、タッグ・ギャラガーの名著 John Ford : The Man and His Films の仏訳を刊行した Capricci が、シネマテーク・フランセーズにおけるサム・ペキンパーのレトロスペクティブにあわせるかたちで、おそらくかの国ではほぼ最初のものであろう映画作家の研究書(著者にクリス・フジワラらを迎える)を出版し、レンヌ大学出版局から Le western et les mythes de l’Ouest という浩瀚な研究書が出されたほか、これも本格的な類書が存在しなかった西部劇事典が三種類、ほぼ同時に刊行された。
 これまでこのジャンルの事典としては、すぐれたものが英米で少なくとも三点出ていた。まず、英国映画協会が出した The BFI Companion to The Western(1988年)があり、編者はこのジャンルのスペシャリストとして高名なエドワード・バスコム。“教養篇”(西部の歴史・地理・人物・史料)、“作品篇”、“監督・俳優篇”からなり、とくにもっとも多くの頁が割かれた教養篇が大いに重宝する。そのぶん、重要なものだけにかぎられ、コメントもおざなりな作品篇は物足りなかったりするのだが、それを補ってあまりあるのがフィル・ハーディによる The Overlook Film Encyclopedia : The Western (1994年)、およびハーブ・フェイゲンThe Encyclopedia of Western (2003年) というアメリカで出版された本格的な作品事典だ。ハーディのものは1990年までの作品から1,800本をエントリーさせて年代順に並べており、紙の質もよく、モノクロだがスチール写真も豊富に掲載されている。コメントは質量ともに標準的。一方、フェイゲンの本はアルファベット順で、図版はすくなめだが、見出し数3,500を誇るもっとも包括的な作品事典。データ以外にコメントがついているのは比較的重要な作品のみだが、そのコメントにしばしば発見がある(たとえば『地獄への逆襲』におけるヘンリー・フォンダの演技に向けられた鋭い批評眼、あるいは『復讐の荒野』の撮影を一部リー・ガームズが務めているといったトリヴィアの類い)。それぞれに個性がちがう事典なので、愛好家であれば座右に置きたい三点。このたびフランスで出版された事典たちもこれらを大いに意識し、参考にしているはずだ。
 すでにジャンル別の豪華本を何冊も出しているフランス淀川長治(?)パトリック・ブリオンの Encyclopédie は、いつものように上質紙を使った大判の album(英語で言う coffeetable book)で、二分冊の作品事典。合わせて800頁を優に越え、事典類についてよく言われる「ずっしりと重い」どころのレベルではなく、二冊同時にはほとんど持ち運び不可能。これまでのかれの本と同じく年代順に編纂され、上巻は1955年まで、下巻はそれ以降を扱う。エントリー数は1,100で、基本データとあらすじに加えて、字数の多少はあれほとんどの作品に的を得たコメントを付し、大きくて美麗なスチール写真をふんだんにちりばめたゴージャスなレイアウトというスタイルはこの人のいつもの本と同じ。色鮮やかなロビーカード、あるいはリチャード・ブルックス「最後の銃撃」のロケ隊の来訪を大々的に特集した地元新聞の完全復刻版といった変わり種のおまけも封入。いわゆる名作からカルト作までジャンルのカノンとなっている作品にはそれに見合ったスペースが割かれる一方、ロバート・パリッシュ、ロイ・ローランドレイ・エンライトゴードン・ダグラス、そしてリチャード・ソープといった御贔屓の監督たちの作品をさりげなく目立たせているのも微笑ましい。また、英米の事典で黙殺されている Salomé, Where She Danced(ジェームズ・エイジーの絶賛した隠れた逸品)をしっかりエントリーさせているのにはうならされた。惜しむらくはセルジオ・レオーネ作品以外の“スパゲッティウェスタン(わが“マカロニ”ウェスタンとは異なる純然たる蔑称)への冷淡さだ。これは先行する英語圏の事典にも共有されている態度であり、フェイゲンの事典にいたってはマカロニ作品が一括して巻末のリストに追いやられているという扱い(リストじたいは便利だが)。
 一方、映画のみならず小説、BD、ゲームをふくめた古代史劇(「ペプロム」とよばれる)の第一人者であるソルボンヌの教授アズィザ、およびアズィザと共同でペサックにあるその名もジャン・ユスターシュという映画館の支配人を務めているというジャン=マリ・ティクスィエというもう一人の学者による Dictionnaire は、ずっと学究的(むしろ衒学的?)かつ急進主義的で、西部劇の受容史やイデオロギー的な側面(先住民・女性・暴力の表象、とくにアメリカ史および世界状況との関連におけるそれ)を重視するものとなっている。西部の歴史や文化(人物・出来事・職種と類型・史料)を重視するといった項目の立て方には BFI Companion の影響を窺わせるが、むしろ先行する事典との違いをはっきり打ち出そうとする意識が盛ん。なにしろ最初の頁をめくるといきなり「11・25 自決の日 三島由紀夫若者たち」という項目が出てきて、これは乱丁で別の本の頁が紛れ込んでいるのではないかと目を疑ったほどだ。記事はアルファベット順に配列されているのだが、これはタイトルが数字ではじまっているために「A」のコーナーのさらに前に置かれているというわけであったのだが、案の定、三島家の居間のシーンに映り込んでいる日本刀先住民およびカウボーイのオブジェの共存、あるいは全学連との会見にあたって作家がジーンズとポロシャツという「アメリカライフスタイル」を諾う服装をまとっていることをもって、三島の国粋主義が新大陸征服の野心を継承するものであるといった安易でこじつけめいた解釈が披瀝されているのだが、いみじくも巻頭のこの記事が、この事典ぜんたいのコンセプトを雄弁に伝えるものとなっている。「A」のコーナーに入ると、まず「黄金時代(l’Age d’or)」というテーマのもとに、ジャンルの変遷(アンドレ・バザンによるジャンルの「進化」論やジャン=ルイ・ルートラらによるその批判といった文献学的な考察が交えられる)が展望されたかとおもうと、それにつづけて「アメリカン・スナイパー」という項目が来るといった具合(記事の内容については言わぬが花だろう)。他ジャンルの作品および他ジャンルとの境界線上にある作品としてはほかに「イントゥー・ザ・ワイルド」「見知らぬ医師」「カッコーの巣の上で」「ディア・ハンター」「ブロークバック・マウンテン」といった作品が項目化されている(それこそ「ブリッジ・オブ・スパイ」が本書の刊行前に公開されていたら項目化されていたのではないか)。また、先の「黄金時代」以下、「大いなる外部(Grand dehors)」「軽蔑(Mépris)」「サプライズ(Surprise)」といった確信犯的にゆるい縛りのテーマのもとに主として政治的な内容の長大な議論が展開される。一方、先行する事典においてあからさまに軽視されていたヨーロッパ西部劇(とくにその政治的意味あい)に然るべき位置づけをあたえ、故ルートラ教授の衣鉢を継いで近年の地味な秀作(「Homesman」「オープン・レンジ」etc.)にも目配りし、アラン・ドワンジャック・ターナーアンドレ・ド・トスに長い記事を捧げることでさりげなくシネフィリーへの忠誠をアピール。映画史家ジャン=ルイ・リューペルーが項目化されているあたりは、よくも悪くもアントワーヌ・ドゥ・ベック編『映画思想事典』(PUF, 2012)における編集上のアナーキズムに近づく。なお、この事典の歴史学的な側面はアズィザ、一方政治的な側面は西部劇における法というテーマで博士号をとったというテクスィエの貢献が大きいと想像される。
 これらと並んでもう一冊、Alexandre Raveleu という人が、作品・監督・俳優別の見出し語250からなる Petit dictionnaire du western (Hors Collection)という本を出しており、アマゾンフランスの読者レヴューなどから判断するに、それなりによく書けたスタンダードな内容であるようだ。それにしてもこの三冊、よくもタイトルがかぶらなかったものだ。