alacantonade

精神分析と映画をめぐる読書案内

2015-01-01から1ヶ月間の記事一覧

ロジーヌ&ロベール・ルフォールを読む:『<他者>の誕生』(その3)

*Rosine et Robert LEFORT : Naissance de l'Autre, Seuil, 1980. 症例ナディア(前回の続き)——10月12日、看護師が他の子供たちに食事をさせていると、ナディアは水兵を叩き、ほうりなげる。そのみぶりには感情がともなっているようにはみえないが、ほかの…

ロジーヌ&ロベール・ルフォールを読む:『<他者>の誕生』(その2)

*Rosine et Robert LEFORT : Naissance de l'Autre, Seuil,1980. 症例ナディア(前回の続き)。 15日。あらためてナディアはかのじょの要求(demande)をわたしに向ける。わたしがちかづくと微笑み、わたしが別の子供に近づくと小さな叫びをあげ、泣き出す…

ロジーヌ&ロベール・ルフォールを読む:症例ナディア(その1)

*Rosine et Robert LEFORT : Naissance de l'Autre, Seuil, 1980. ジャック・ラカンに教育分析を受けたロジーヌ・ルフォールは、夫のロベールとともに自閉症および小児精神病の精神分析的治療に画期的な次元を切り開いた。ラカンがスーパーヴィジョンを担当…

セルジュ・ダネーのジョン・フォード評:La maison cinéma et le monde を読む(9)

同じくベルール編「映画事典」より。「ある作家の全作品が、その作家の作品の礎になっているつねに隠された危険を追い払うためにのみ存在するということがある」という一節ではじまるジョン・フォードについての長い記事。上の書き出しは「その危険はまた特…

セルジュ・ダネーのアラン・ドワン讃:La maison cinéma et le monde を読む(その8)

同じ1966年にダネーはレーモン・ベルール編「映画事典」(Editions universitaires) のいくつかの項目を執筆している。アルファベ順でまず「アラン・ドワン」。いみじくも『グレートレース』評で脱線というモンテーニュ的修辞をみずから実践してみせたダネ…

セルジュ・ダネー評論集 La maison cinéma et le monde を読む(7)

ブレイク・エドワーズの『グレートレース』論(1966年2月号)。「陶酔[酩酊]はエドワーズの映画においておおきなやくわりをはたしている(『ティファニーで朝食を』そしてもちろん『酒とバラの日々』)。陶酔は時を急がず、なにものを急かさない。陶酔は…

セルジュ・ダネー著作集を読む(6)

ジェリー・ルイスふたたび(1966年2月号)。『底抜け男性No.7』は、薹がたってきたジェリー・ルイスのサバイバルを賭けた一作だ。いわばジェリーという「仮面」からのルイスの脱皮が問題になっているのであり、もはやみずからの神話に恃むことなく未知の世…

セルジュ・ダネー著作集を読む(5)

「リチャード・クワインは鏡の効果がすきだ」ではじまる『求婚専科』評(1965年12月号)は、コンパクトにして的を得たチャーミングなクワイン論に仕上がっている。「クワインがもっとも実力を発揮するのは鏡の使い方においてだ。登場人物たちはその効果に少…

セルジュ・ダネー著作集を読む(4)

「もっとも大仕掛けな陰謀」と題されたシャブロル論(1965年12月号)。「スーパータイガー/黄金作戦」におけるカリカチュアは、たんなるこけおどしでも韜晦でもおもねりでもなく(そうしたものにとどまっているかぎりでカリカチュアはひとつの文体たりえな…

セルジュ・ダネー著作集を読む(3)

「カイエ」に新作のレビューとしてはじめて書いたのがタシュリン=ルイスの『底抜けオットあぶない』について。ジェリー・ルイスのフランスにおける受容、とくにその映画の政治性の意義についてはわれわれのバックナンバー「二つのジェリー・ルイス論」を参…

セルジュ・ダネー著作集を読む(2)

*Serge Daney : La maison cinéma et le monde, tome 1, Le temps des Cahiers, 1962-1981, P.O..L., 2001) Visage du cinéma 創刊号に掲載された『リオ・ブラボー』論につづき、同じ雑誌の第2号(1963年)に『暗黒街の顔役』についての短い文章がある。「…