独裁者としてのリンカーン:トランプの時代に読むソロー(その8)
2017/03/28
トランプのオバマケア撤廃法案が議会によって事前に葬り去られました。
さて、ソローです。
ソローがジョン・ブラウンの違法行為を公然と支持したことについてはすでに述べました。
ジョン・ブラウンの行動は南北戦争のひとつのきっかけをつくったともいわれています。
ソローは南北戦争の開戦直後に生を終えていますが、あるいみでジョン・ブラウンのうちに来るべきリンカーンの決断を予見していたといえます。
ジョン・ブラウンがリンカーンの先駆けであるという見解はけっしてめずらしくありません。
ジョン・ブラウンの行動に材を取った映画『カンサス騎兵隊』(1940年)は、ジョン・ブラウンの野望を阻止した騎兵隊員が救国の英雄として描かれています。とはいえおもしろいことに、ジョン・ブラウンに「悪役」が振られているとはかならずしもいえない作りになっています。
ラストシーンでは、ジョン・ブラウンが絞首台の上で南北戦争を予言する大演説をリンカーン張りにぶちます。
後光が射しているかのようなバックライト、仰角の構図など、ジョン・ブラウンの威厳をリンカーンのそれに重ねている演出がところどころにみられます。
あまつさえジョン・ブラウンを演じたレイモンド・マッセイは、奇しくも同じ年の佳作『エイブ・リンカーン』でタイトルロールを張っています。
世間的にはリンカーンは“正義の味方”とされています。
その見方はまちがってはいません。しかし、リンカーンはその“正義”を法律の上位にあるものとみなしました。
奴隷解放宣言は事実上の憲法停止状態において発令されています。
独立宣言に謳われた自由と平等についての規定が合衆国憲法にはありませんでした。つまり憲法は奴隷制を黙認していたのです。
国家分断の危機に際してリンカーンは大統領の権限にもとづき、議会の承認を得ることなく、みずからの権限のみによって奴隷廃止を宣言したのです。
リンカーンは離れ業的な法解釈によって「例外状態」をつくりだしたようです。
ジョルジョ・アガンベンの『例外状態』には、この過程がつぎのように描かれています。
合衆国憲法第1条にこういう規定があります。
「反乱または侵略にさいして公共の安全のためにひつようなばあいをのぞき、人身保護令状[人身保護の目的で拘禁の事実・理由などを聴取するため被拘禁者を出廷させる令状]を求める特権を停止してはならない」。
この「停止」を決定する主体は誰なのでしょう?
それが議会であることが文脈から推測できるようになっていますが、明文化されてはいません。
また、おなじ第1条には、戦争を発布する権限と陸海軍を召集し維持する権限が議会にあるとされていますが、第2条には「大統領は合衆国の陸海軍の最高司令官である」とあり、この二つの文言の関係があいまいです。
アガンベンによれば、以上二点が、大統領と議会とのあいだの「主権的決定をめぐる抗争」の論点となってきました。
1861年4月15日、リンカーンは第1条の規定を無視するかたちで陸海軍の徴募を発令し、7月4日に臨時国会を開催すべく議会に召集をかけます。
「リンカーンは4月15日から7月4日までの十週間、事実上、絶対的独裁者として行動したわけである」(同書)。
翌年9月の奴隷解放宣言はこの延長線上に出されました。
つまり、奴隷を解放したのは独裁者です。ぎゃくにいえば、独裁者でないかぎり、奴隷解放という偉業をなしとげることはできませんでした。
これはフランス革命政府からマルクスのプロレタリア独裁にいたるまで人類の歴史につきまとっている逆説です。
ごぞんじのように、リンカーンは終戦後に憲法修正第13条を通すことで、事後的にみずからの超法規的措置を正当化しました。
スピルバーグの伝記映画は、リンカーンがかくして法律違反者、独裁者の汚名をそそいだところでハッピーエンドとなっています。
とはいえ、リンカーンが憲法を停止させたという事実は消えません。
そのおよそ七十年後、ヒトラーは、とうじ世界でもっとも民主的とされていたワイマール憲法に明記されていた非常事態宣言を発動し、全体主義への道を突き進みます。
リンカーンの目的が奴隷の自由そのものではなく、連邦の崩壊をくいとめることであったことは、リンカーンじしんが述べています。
「奴隷を一人も自由にせずに連邦を救うことができれば、私はそうするでしょう」。
もちろん、これは奴隷制支持者への配慮から出た発言ともとれます。
その証拠にかれは「万人は自由である」とも語っているからです。
ソローが生きていれば、リンカーンの決断を支持したにちがいありません。