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精神分析と映画をめぐる読書案内

ダネーのジャン=ピエール・メルヴィル論——セルジュ・ダネーのテレビ論(2)

*Serge Daney : Un flic dans le petit écrin, in Devant la recrudescence des vols de sacs à main, Aléas Editeur, 1991.

 セルジュ・ダネーの単行本未収録全文集(La maison, le cinéma et le monde 1~3)がついに完結した。これについては注文中の現物が届いてからあらためて詳報しよう。

 ダネーのテレビ論のつづきを少々。

 テレビ放映されることで、映画に何が起こるのか? ——これについてはカヴェルも問題にしていた。

 ダネーによると、映画のテレビ放映のメリットのひとつは、テレビのフォーマットの小ささが、たとえば『アラビアのロレンス』などのスペクタクル大作にはハンディになる一方で、逆にたとえば『インディア・ソング』といった、いわば<小さい映画>がもともとそなえている慎ましさと親密感を際立たせる効果をもつことである。

 いかにもアナログ時代のテレビ論らしく、ある意味わかりやすい見解であるが、ダネーはこの観点からジャン=ピエール・メルヴィルがテレビ向きの映画作家であることをほのめかしている。

 テレビで放映されることで、映画の音声がスピーカーから粉々の状態で飛び出してこないというのはめったにないことだ。テレビでは、弱肉強食の掟が支配している。つまり、もっともデカイ声で「喋る」者がキングなのだ。しょうもない掟である。というのも、技術的な性能の悪さに加えて、テレビの音声は信号化されたノイズのレベルをこえることがけっしてないからだ。この掟に対しては、さらにデカイ声でわめきたてるか(コマーシャルのしていること)、あるいは、ずっと稀なことではあるが、物音をたてないか以外に対抗手段がない。というのも、テレビで「物音をたてない」のは、突然遊び声が聞こえなくなった子供と同じくらい人を不安にさせるものだから。
 メルヴィルの『リスボン特急』は、まさにそのような子供であり、いきなり真顔になって、遊び道具はこれだけと思い定め、それを金輪際手放すことなく、遊びやめることがない。とうの昔に壊れてはいるが、そのおもちゃは意外にも歴史(物語)の衝撃をまだ受け止め、イメージの試練と時の挑戦に「抵抗」している。抵抗(レジスタンス)はメルヴィルの興味の的[利害の対象]だ。占領に対する男たちの抵抗であり、肉体のイメージを損なうものに対する肉体の抵抗だ。
 メルヴィルのおもちゃは男たちであり、ゲーム(それじたいはささいなもの)は男の友情に基づいている。しかし、このことは(ご存知のとおり)重要なことではない。重要なのは、1972年メルヴィルナルシシズムの果てまでたどりつき、自分のストーリーには若者(あるいは女性も。ドヌーヴの出番はほんのわずかだ)はいらないと決然と言い放っていることだ。メルヴィルには静かなる大胆さがある。女子供よりもむしろ自分の年代(このとき彼は55歳)の人間、潔いがのろまで、仕事はうまいが重ったるい4,50代を撮るという大胆さが。
 これほどものものしい撮り方をしていなければ、きっとどたばた喜劇ふうの映画になっていただろう。次々にお目見えする小道具の数々(スーツ、眼鏡、面構え、バーバリーのコート、色合い、物音……)にどこまでも凝りまくる審美家のどたばた喜劇だ。[……]なぜテレビで見るとこれほど美しいのだろうか。その理由は、テレビでは、メルヴィルのあまりにもこれみよがしなアンティミスムが、純然たる親密さに変わるからだ。こうした親密さは、もはや(慎みといった)道徳的な「価値」ではなく、『リスボン特急』の素材[マチエール]そのものであり、それはテレビ画面[petit écran]が宝石箱[écrin]としての用をなし得る唯一の現実である。テレビ画面が宝石箱になるのだ。宝石箱の中には何が入っているだろうか。傷つきやすいものたちにほかならない。震えを帯びたもろもろのエピソード[insert]であり、一瞬のもついろいろな意味での重みであり、パトスの激発だ。
[……]『リスボン特急』において、メルヴィルはもはや理想化も、崇高化も、説教もしていない。あらゆる偉大な映画作家たちと同じように、彼はついに自分の愛するもの(つまり、愛する男たち)だけを撮ることで満足している。
(「小さな宝石箱に収められた『リスボン特急』」1988/10/21)

 昭和の悪ガキさながら、発育不全の図体から素っ頓狂な光線とノイズを発しまくっていたかつての野蛮なアナログ・テレビへのノスタルジーをいくぶんかかきたてる文章だ。

 ちなみに『リスボン特急』は、ダネーの生涯の盟友で、ダネー死後、リベラシオンのテレビ欄に名物コラムを長年連載していたルイ・スコレッキが「超傑作」と特権化している作品でもある。