alacantonade

精神分析と映画をめぐる読書案内

西部小説の復権のために

 2015年フランス出版界が西部劇の当たり年であったと前号に書いたけれども、重要な言い落としがあったので補足しておきたい。
 「ポジティフ」編集長ミシェル・シマンがパーソナリティを務める Projection privée という France Culture のラジオ番組があって、わたしも Podcast で愛聴しているのだが、去る5日、この番組がベルトラン・タヴェルニエとDictionnaire du western の著者の一人クロード・アズィザを招いて「西部劇 特集」というのを組んでいた(ゲストの紹介に際して、Encyclopédie du western の著者パトリック・ブリオンの不在を残念がる一言がしっかり添えられた)。

 シマンの盟友タヴェルニエはここ数年、アーネスト・ヘイコックスやW・R・バーネットといった作家による西部小説のクラシックを鋭意翻訳紹介する l’Ouest, le vrai (「これが西部だ!」)という企画をお膝元の Acte Sud において監修しており、昨年もヘイコックスの Le passage du CanyonCanyon Passage, 1945)、バーネットMi amigoMi Amigo : A Novel of The Southwest, 1959)、Saint Johnson(1930)、および既刊 Terreur apache Adobe Walls : A Novel of The Last Apache Rising, 1953)の文庫化、A.B. ガスリーの連作 The Big Sky 完結篇にあたるDans un si beau paysThe Way West, 1949)、ハリー・ブラウンDu haut des cieux, les étoilesThe Stars in Their Courses, 1960)、トム・リー L’aventurier de Rio GrandeThe Wonderful Country, 1952)を立て続けに刊行した。

 『駅馬車』『大平原』の原作者としてその名を轟かすヘイコックスは、ヘミングウェイガートルード・スタインにもリスペクトされた大作家。このほど仏訳成った Canyon Passageジャック・ターナーの『インディアン渓谷』の原作。
 W・R・バーネットは、『暗黒街の顔役』『ハイ・シエラ』の脚本、および『犯罪王リコ』『廃墟の群盗』『死の谷』『アスファルト・ジャングル』などの原作で知られる犯罪映画および西部劇の巨匠。 Adobe Walles は、チャールトン・ヘストン主演による『アロウヘッド』の原作。
 ハリー・ブラウンは『激戦地』として映画化された A Walk in The Sun(脚色ロバート・ロッセン)でピュリッツァー賞を受賞した作家で、The Stars in Their Coursesホークスの『エル・ドラド』の原作。『硫黄島の砂』『凱旋門』『陽のあたる場所』『オーシャンズと11人の仲間 』など多くの名作(迷作)の脚本も手がけているが、そのなかには『怒濤の果て』(エドワード・ルドヴィク)や Apache Drums (ヴァル・リュートン=ヒューゴ・フレゴネーゼ)という大傑作もふくまれる。
 やはりピュリッツァー賞の受賞歴があるA・B・ガスリーは、 ダドリー・ニコルズが脚色した『果てしなき蒼空』の原作(The Big Sky の最初の巻に基づく)のほか、あの『シェーン』(原作ジャック・シェーファー)の脚本を担当。
 ムーヴィーゴアーにとってはこれらの人にくらべて知名度において相対的に劣るが、トム・リー(Tom Lea)はメキシコ革命時代のエル・パソ市長の息子で、もともとは戦争を題材にした壁画で知られる画家。第二次大戦中に Life の特派員として発表したイラスト入りルポルタージュが評判になり、後に作家に転向。前号で紹介した The BFI Companion to The Western でもしっかり項目化されている。 The Wonderful Country ロバート・パリッシュの同名映画の原作。

 タヴェルニエはジョン・フォードジャック・ターナー西部劇がいかにその原作に多くを負っているかを説き、出版者や批評家がこれらの西部小説を蔑視してきたと嘆いてやまない。フェニモア・クーパー(アズィザによればアメリカシャトーブリアンもしくはルソー)にはじまる西部文学という領域が同じく西部の写真史や絵画史(F・Sレミントンはもとより、ジャクソン・ポロックの師として知られるトーマス・ハート・ベントンなど。ベントンについては昨年 American Epics : Thomas Hart Benton and Hollywood という研究書がアメリカ刊行されている)と併せて今後の西部劇研究の重要な課題となることは間違いのないところだろう。さいわいBFI の Companion にはこのテーマに捧げられた充実した記事がみつかるが、アズィザもその Dictionnaire において、 Guide de l’Antiquité imaginaire : Roman , cinéma, bande dessiné (Les Belles Lettres, 2008)の著者らしい博覧強記ぶりを発揮して、ブレット・ハートマーク・トゥエインからコーマック・マッカーシーに至るまでの西部文学史を、先住民サイドの書き手たちやフランスにおける受容史にも目配りしつつ、明解な筆致で一覧している。それによると、こんにちスクリーンでは影の薄い西部劇が、意外なことに文芸の世界では「百花繚乱状態(extrêmement vivace )」なのだそうだ。モンタナ州(The Big Sky!)のミスーラ大学で詩人リチャード・ヒューゴーが主導してきた文芸講座から数多の才能が輩出し、Nature Writing という文芸の分野が生み出されているという。

 さて、くだんのトークは『レヴェナント』のフランスでの大ヒットの話題を枕に振り、タランティーノらが西部劇をもっぱら搦め手から( au second degré) 参照しているのにたいし、いわば正面から( au premier degré) ジャンルを継承せんとするイニャリートの野心が讃えられる。ちなみにこの監督をほぼ黙殺してきたライバルの「カイエ」にたいし、「ポジティフ」の方は一貫して高い評価を与えており、その最近の号においても『レヴェナント』におけるディカプリオの勇姿が表紙にフィーチャーされていた。
 『レヴェナント』が奇しくも少し先立って公開された『ヘイトフル8』とともに雪景色を舞台とする西部劇であるという事実も手伝って、自然とその元ネタ探しがはじまり、タヴェルニエがアンドレ・ド・トス、アズィザがセルジオ・コルブッチ、シマンがリチャード・C・サラフィアンと、それぞれの口にいかにもの固有名詞が呪文よろしく上せられ、さらにはだれの口からともなく、『大いなる勇者』、『北西への道』と列挙がつづいて話題はありし日の西部劇へとおもむろに移っていき、近年発見されたジョン・フォードの第六作目にあたる作品がサイレント時代にあってペキンパーをはるかに先取りするかのような西部への挽歌をすでに高々と歌い上げていたことへの驚き(あるいは先住民の描き方においてもサイレント期のあるしゅの作品が時代に先駆けて現代的であった事実)、同じフォードが『誉れも高きケンタッキー』から『駅馬車』に至る十数年ものあいだ西部劇に手を染めなかったという謎、個人の運命を重視してきたこのジャンルにおける共同体という主題の位置づけなど、興味のつきない話題が展開される。
 トークの終盤にいたってやっと Dictionnaire du western が話題にされ、「括弧つき(entre parenthèses)」の西部劇である『アメリカン・スナイパー』が項目化されていることを突っ込まれたアズィザは思わず苦笑、イラクの砂漠が西部の風景を思わせるしィ……などとあいまいに呟いたあとでけっきょく責任を共著者に押しつけていた(笑)。

 蛇足だが、個人的に『ヘイトフル8』で釈然としなかったのは、巻頭近く、馬車のシーンでの、捕虜収容所へのきわめて中途半端な言及だ(すべてが中途半端な残念至極な作品ではあるのだが)。サミュエル・L・ジャクソン演ずる北軍将校あがりの賞金稼ぎ捕虜収容所で味方の北軍兵をも含めて虐殺のうえ逃亡、おたずね者になったとかいう設定であったと記憶する。周知のように、南軍が運営していたアンダーソンヴィルの捕虜収容所はアウシュヴィッツになぞられられることさえあるアメリカ史の汚点であり、じゅうらい西部劇におけるタブーと見なされてきた。セルジオ・レオーネはアンダーソンヴィル以外にも北軍の運営する同様の施設が存在したはずだという歴史学者の説に依拠して『続・夕陽のガンマン』(タラのフェイヴァリットでもある)で捕虜収容所を正面から描いてみせたが(皮肉にもめっぽう美しいシーンに仕上がっている)、サー・クリストファー・フレイリング教授の名著『セルジオ・レオーネ——西部神話を撃ったイタリアの悪童』(鬼塚大輔訳、フィルムアート社)などによると、実際にはサイレント時代にすでにアンダーソンヴィルからの脱走兵を描いた作品があり、フォードの『騎兵隊』でもアンダーソンヴィルの名前がちらっとだが言及されている。BFIの Companion にも アズィザの Dictionnaire にも、南北戦争に長い記述が割かれてはいるが、ざっと眺めてみたところでは捕虜収容所についての言及はみつからない。『ヘイトフル8』のタラには、賞金稼ぎだのゲリラ団だのレイシズムだの ”frontier justice”(相手に先に抜かせて正当防衛を装った殺人)だの、とにかくどぎつさをもとめて西部の悪という悪をこれでもかと数え上げてみせたいという意図がありありで、そのうちのひとつとして捕虜収容所への思わせぶりなほのめかしをちりばめておいただけであるとおもわれるが、いずれにしても西部劇が今後、このテーマにどう向き合って行くのか(あるいは行かないのか)にわたし個人は興味津々でいる。

フランスで刊行された二冊の西部劇事典

*Patrick Brion : Encyclopédie du western 1903-2014, Télémaque, 2015.
Claude Aziza et Jean-Marie Tixier : Dictionnaire du western, Vendémaire, 2015.

 昨年のフランスの出版界は、西部劇のちょっとした当たり年であったといえる。一昨年、タッグ・ギャラガーの名著 John Ford : The Man and His Films の仏訳を刊行した Capricci が、シネマテーク・フランセーズにおけるサム・ペキンパーのレトロスペクティブにあわせるかたちで、おそらくかの国ではほぼ最初のものであろう映画作家の研究書(著者にクリス・フジワラらを迎える)を出版し、レンヌ大学出版局から Le western et les mythes de l’Ouest という浩瀚な研究書が出されたほか、これも本格的な類書が存在しなかった西部劇事典が三種類、ほぼ同時に刊行された。
 これまでこのジャンルの事典としては、すぐれたものが英米で少なくとも三点出ていた。まず、英国映画協会が出した The BFI Companion to The Western(1988年)があり、編者はこのジャンルのスペシャリストとして高名なエドワード・バスコム。“教養篇”(西部の歴史・地理・人物・史料)、“作品篇”、“監督・俳優篇”からなり、とくにもっとも多くの頁が割かれた教養篇が大いに重宝する。そのぶん、重要なものだけにかぎられ、コメントもおざなりな作品篇は物足りなかったりするのだが、それを補ってあまりあるのがフィル・ハーディによる The Overlook Film Encyclopedia : The Western (1994年)、およびハーブ・フェイゲンThe Encyclopedia of Western (2003年) というアメリカで出版された本格的な作品事典だ。ハーディのものは1990年までの作品から1,800本をエントリーさせて年代順に並べており、紙の質もよく、モノクロだがスチール写真も豊富に掲載されている。コメントは質量ともに標準的。一方、フェイゲンの本はアルファベット順で、図版はすくなめだが、見出し数3,500を誇るもっとも包括的な作品事典。データ以外にコメントがついているのは比較的重要な作品のみだが、そのコメントにしばしば発見がある(たとえば『地獄への逆襲』におけるヘンリー・フォンダの演技に向けられた鋭い批評眼、あるいは『復讐の荒野』の撮影を一部リー・ガームズが務めているといったトリヴィアの類い)。それぞれに個性がちがう事典なので、愛好家であれば座右に置きたい三点。このたびフランスで出版された事典たちもこれらを大いに意識し、参考にしているはずだ。
 すでにジャンル別の豪華本を何冊も出しているフランス淀川長治(?)パトリック・ブリオンの Encyclopédie は、いつものように上質紙を使った大判の album(英語で言う coffeetable book)で、二分冊の作品事典。合わせて800頁を優に越え、事典類についてよく言われる「ずっしりと重い」どころのレベルではなく、二冊同時にはほとんど持ち運び不可能。これまでのかれの本と同じく年代順に編纂され、上巻は1955年まで、下巻はそれ以降を扱う。エントリー数は1,100で、基本データとあらすじに加えて、字数の多少はあれほとんどの作品に的を得たコメントを付し、大きくて美麗なスチール写真をふんだんにちりばめたゴージャスなレイアウトというスタイルはこの人のいつもの本と同じ。色鮮やかなロビーカード、あるいはリチャード・ブルックス「最後の銃撃」のロケ隊の来訪を大々的に特集した地元新聞の完全復刻版といった変わり種のおまけも封入。いわゆる名作からカルト作までジャンルのカノンとなっている作品にはそれに見合ったスペースが割かれる一方、ロバート・パリッシュ、ロイ・ローランドレイ・エンライトゴードン・ダグラス、そしてリチャード・ソープといった御贔屓の監督たちの作品をさりげなく目立たせているのも微笑ましい。また、英米の事典で黙殺されている Salomé, Where She Danced(ジェームズ・エイジーの絶賛した隠れた逸品)をしっかりエントリーさせているのにはうならされた。惜しむらくはセルジオ・レオーネ作品以外の“スパゲッティウェスタン(わが“マカロニ”ウェスタンとは異なる純然たる蔑称)への冷淡さだ。これは先行する英語圏の事典にも共有されている態度であり、フェイゲンの事典にいたってはマカロニ作品が一括して巻末のリストに追いやられているという扱い(リストじたいは便利だが)。
 一方、映画のみならず小説、BD、ゲームをふくめた古代史劇(「ペプロム」とよばれる)の第一人者であるソルボンヌの教授アズィザ、およびアズィザと共同でペサックにあるその名もジャン・ユスターシュという映画館の支配人を務めているというジャン=マリ・ティクスィエというもう一人の学者による Dictionnaire は、ずっと学究的(むしろ衒学的?)かつ急進主義的で、西部劇の受容史やイデオロギー的な側面(先住民・女性・暴力の表象、とくにアメリカ史および世界状況との関連におけるそれ)を重視するものとなっている。西部の歴史や文化(人物・出来事・職種と類型・史料)を重視するといった項目の立て方には BFI Companion の影響を窺わせるが、むしろ先行する事典との違いをはっきり打ち出そうとする意識が盛ん。なにしろ最初の頁をめくるといきなり「11・25 自決の日 三島由紀夫若者たち」という項目が出てきて、これは乱丁で別の本の頁が紛れ込んでいるのではないかと目を疑ったほどだ。記事はアルファベット順に配列されているのだが、これはタイトルが数字ではじまっているために「A」のコーナーのさらに前に置かれているというわけであったのだが、案の定、三島家の居間のシーンに映り込んでいる日本刀先住民およびカウボーイのオブジェの共存、あるいは全学連との会見にあたって作家がジーンズとポロシャツという「アメリカライフスタイル」を諾う服装をまとっていることをもって、三島の国粋主義が新大陸征服の野心を継承するものであるといった安易でこじつけめいた解釈が披瀝されているのだが、いみじくも巻頭のこの記事が、この事典ぜんたいのコンセプトを雄弁に伝えるものとなっている。「A」のコーナーに入ると、まず「黄金時代(l’Age d’or)」というテーマのもとに、ジャンルの変遷(アンドレ・バザンによるジャンルの「進化」論やジャン=ルイ・ルートラらによるその批判といった文献学的な考察が交えられる)が展望されたかとおもうと、それにつづけて「アメリカン・スナイパー」という項目が来るといった具合(記事の内容については言わぬが花だろう)。他ジャンルの作品および他ジャンルとの境界線上にある作品としてはほかに「イントゥー・ザ・ワイルド」「見知らぬ医師」「カッコーの巣の上で」「ディア・ハンター」「ブロークバック・マウンテン」といった作品が項目化されている(それこそ「ブリッジ・オブ・スパイ」が本書の刊行前に公開されていたら項目化されていたのではないか)。また、先の「黄金時代」以下、「大いなる外部(Grand dehors)」「軽蔑(Mépris)」「サプライズ(Surprise)」といった確信犯的にゆるい縛りのテーマのもとに主として政治的な内容の長大な議論が展開される。一方、先行する事典においてあからさまに軽視されていたヨーロッパ西部劇(とくにその政治的意味あい)に然るべき位置づけをあたえ、故ルートラ教授の衣鉢を継いで近年の地味な秀作(「Homesman」「オープン・レンジ」etc.)にも目配りし、アラン・ドワンジャック・ターナーアンドレ・ド・トスに長い記事を捧げることでさりげなくシネフィリーへの忠誠をアピール。映画史家ジャン=ルイ・リューペルーが項目化されているあたりは、よくも悪くもアントワーヌ・ドゥ・ベック編『映画思想事典』(PUF, 2012)における編集上のアナーキズムに近づく。なお、この事典の歴史学的な側面はアズィザ、一方政治的な側面は西部劇における法というテーマで博士号をとったというテクスィエの貢献が大きいと想像される。
 これらと並んでもう一冊、Alexandre Raveleu という人が、作品・監督・俳優別の見出し語250からなる Petit dictionnaire du western (Hors Collection)という本を出しており、アマゾンフランスの読者レヴューなどから判断するに、それなりによく書けたスタンダードな内容であるようだ。それにしてもこの三冊、よくもタイトルがかぶらなかったものだ。
 

セルジュ・ダネー評論集 La maison cinéma et le monde を読む(その15)

* Serge DANEY : La maison cinéma et le monde, tome 1. Le temps des Cahiers 1962-1981, P.O.L., 2001.

 昨秋、Traffic 時代(1991-1992年)の文章を集めた第4巻(さいしょの3巻とはちがってずいぶんと薄い)が刊行され、めでたく完結をみた著作集をひきつづき繙いていく。

 モーパッサンの有名な怪奇小説を原作に戴くジャン=ダニエル・ポレの「オルラ」はまちがいなく映画史上もっともうつくしい中篇映画の一本といってよい。ダネーは「カイエ」1967年3月号にレビューを書いている。これは「ガイドがわりもしくは日記がわりに一冊の本を携えて夜の果てへの旅をくわだてる者たちのケーススタディー症例)」であるとのただし書きではじめられる。

 ロメール、レネ、ドゥミ、ルーシュ、ポレ。フランス映画の一群の新鋭作家たちは「地理学への愛」に憑かれている。かれらにとって映画とは旅。そこでは地図と土地、約束の地と現実世界、観念と感情とのたえざる照合(照応)が起こっている。かれらの映画は水に飛び込む人間の眼にうつる——スローモーションの——ながめである(これこそおよそ映画作家たるものに望まれることのいっさいだ)。ポレがカメラに収めるものはかれの作品などではなくかれじしんの驚き。かれは美の製作者などではなくその讃美者。かれはじぶんから語り出さない。物が語りはじめるのをただじっと待つ。そのうちに当の物が腐敗してしまう危険を冒しつつ。そこでは真理と死が結びついている。そこに悲劇性がやどる。ポレは肯んぜないもの(l’inexorable)の映画作家である。「〜しないうちに」という最後の瞬間の映画作家だ。かれは死刑宣告と死のあいだをカメラにおさめる。来るべき末期の叫びと臨終の言葉のあいだの執行猶予のときを。映画を撮ることはそれゆえわずかな時間をかせぎ、来るとわかっている最後の瞬間を引き延ばすこと。そのかぎりでポレにとっての旅とはもっとも厳粛な旅、すなわち彼岸への旅立ちをもいみしている。生そのものから毒のように滲み出す必然的な死。これはゴダールにとっての偶然的で不条理な死の対極にある。ポレにとっての死はむしろリルケ的である。ポレが存在感のない身体(たとえばフランソワーズ・アルディのそれ)をこのむのは、そこに来るべき死体を透かしみるためだ。こうしたヴィジョンはポレをまた Evariste Galois のアストリュックに、「家族日誌」のズルリーニに、「ガン・ホーク」のエドワード・ルドヴィグ(!)にちかづける。すなわち運動と物体の崩壊を主題とする死姦的な映画たち。ポレの主人公たちの魅力はじぶんが死にゆくことを知っていることからうまれているが、死をみすえているひとの特権として(ダネーはここで唐突にジュネの名前を挙げている)かれらの内面世界へカメラをけっして立ち入らせない。それゆえかれらの魅力には一抹の疑念(かれらの虚飾、芝居っ気にたいするそれ)がまといついている。致命傷を負わされてから生まれてはじめてひとにかまわれたことをさめざめと悟る『大砂塵』の人物のように。あるいは谷崎の『秘密』の主人公のように。かれらは詐欺師なのだろうか。俳優はそれを理解しないまま演じ、監督もそれを問いつめない。かれらは理解されるためではなく、ただ見つめられるためにカメラにおさまる。かれらはみずからの死が<人間>そのものの終焉であると任じている。ポレにとって、文明はすでに死滅している。『地中海』をいろどる廃墟は意味を喪失した記号である。およそ墓まで持ち込まれる秘密だけが価値をもち、沈黙を守る証人だけが正直者だ。ポレは人間を撮るように石(廃墟)を撮る。ポレにとって<人間>とは[悠久の歴史の]風景のなかに一瞬映り込んだ石ころにひとしい。とはいえそれは旅行者の夢想を花ひらかせる路傍の石のようにかけがえがない。

『明晰な作品』:ジャン=クロード・ミルネールのラカン論(了)

*Jean-Claude MILNER : L'Œuvre claire, Seuil, 1995.

 承前。『アンコール』におけるボロメオの結び目の導入の直後、ラカンは「無意識に影響されている個人とシニフィアンの主体とは同一」という「仮説」を提出している。「主体の方程式」においてはその峻別が前提されていた「主体」と「個人」とがイコールでむすばれるにいたるわけだが、ここからミルネールはつぎのように結論する。「精神分析はその実践において、偶然の一致によって主体と出会う」。かくして「主体の方程式」は、成立すると同時に廃棄される。それまで方程式として記述されていたものが「一致」「出会い」として再記述されるからだ。「一致」、「出会い」とは、現実界(主体)、想像界(個人)、象徴界シニフィアン)のあいだに結び目がおりなす関係性にほかならない。結び目において主体と個人はまったく異質であるかぎりで重ね合わされる。かくして主体の規定のためにはシニフィアン規定があればじゅうぶんであるということになり、すでに主体の「公理」はひつようなくなる。さらには形而上学的主体への参照もひつようない。デカルトへの参照と同時に[質なき]「思考」への参照も不要になる。コギトは「われあり」に接収され、「根源的なデカルト主義」が放棄されるにいたる。ここにラカンの「反哲学」は根拠をみいだす。ミルネールは精神分析をあるいみで哲学のネガとしておもいえがいている。「現代科学と完全にシンクロする哲学はない」のにたいし、精神分析は現代科学と完全にシンクロしている。精神分析は主体の特異性を必然的で偶然的で絶対的な法に転換するかぎりで政治的であるが、この身ぶりを発明したのは哲学である。ただし哲学は宇宙の外部という観念を捨てていない。精神分析はそれを放棄することで現代科学と非歴史的で構造的な関係をむすぶ。

 かくして『アンコール』において数学への参照は結び目理論に吸収される。結び目は文字(マテーム)を支えるが、結び目じたいは文字化されない。「結び目は数学化されず、数学化しない」。「結び目は結び目にとどまる」(“メタ言語の不在”のニューヴァージョン)。ラカンが結び目にみいだすのは、完全な数学化への抵抗である。「結び目の理論はない」(トポロジーとのちがい)。
 
 「みちのりの到達点において結び目は文字の迂回(横領 détournement)となる。ただしこの迂回によって、文字[=手紙]はその宛先に届くのである。結び目は本質的に反数学的になった」。『アンコール』において第二の古典期は第一の古典期から切り離されると同時にふたたびそれに合流する(「脱構築」)。
 『アンコール』以後のセミネールにおいて、ラカンは「言う」ことを放棄し、結び目を「見せる」ことしかしなくなる。第二の古典期の産物である結び目の意義はいまだ未確定。いまひとつの偉大な唯物論的作品『事物の本質について』と同じように、ラカンの「作品」は未完である……。

『明晰な作品』:ジャン=クロード・ミルネールのラカン論(その4)

*Jean-Claude MILNER : L'Œuvre claire ; Lacan, la science, la philosophie, Seuil, 1995.


 承前。言語が主体の代理(tenant-lieu)であることは、スターリンヤコブソンも気づかなかったラカンのオリジナルである。ラカン的な構造主義の意義はここにある。構造主義ガリレイ的な数学化の厳密化であり、「拡大した数学化」にほかならない。すなわち、厳密な意味での数学解析学代数学 etc.)には基づいていない。さらにその対象を自然界から人間の領域(文化)にまで拡大している。近代科学がその黎明期文献学の厳密さをモデルにしたように、構造言語学という「数学」が人間の科学ガリレイ的自然科学を結びつける。ラカンは構造言語学ミニマリズム(理論、対象、特性におけるそれ)を徹底化する。シニフィアンとは構造言語学的な構造概念から切り出された「連鎖」という「ミニマムな構造」の謂いであり(シニフィアンとは連鎖であり、連鎖とはシニフィアンである)、<他者>とは純粋な差異の体系に最小化された構造言語学の対象の別名である。「無意識はひとつの言語(langage)として構造化されている」というテーゼは同語反復であると同時に矛盾である。構造はすでにして言語であり、「ひとつの」は複数の言語構造の存在を前提しているから。このテーゼはたんに「無意識は構造化されている」と述べている。そのいわんとするところは「任意の構造は任意ならざるいくつかの特性をもつ」という「超構造的仮定」に要約される。これはラカン理論の核心に迫る[カント的ないみでの]超越論的命題である。そしてこのような任意の構造によって規定される主体が「科学の主体の仮説を解決する」。

 第一の古典期にはいくつかの不安定要素が内在している。(1)歴史主義にかんして。『エクリ』は「創設的出現」「継承」「同時代性」といった観念に依拠している。さらに切断の理論と主体の理論が呼応していない。(2)数学化の観念にかんして。ガリレイ主義における数学論理学公理化)の不在。(3)「理想の科学」(構造主義)と「科学という理想」(現代科学)の矛盾。(4)文字の観念の不正確さ。(5)過渡的な言語学への依拠。ソシュールアナグラム草稿の発見、それにインスパイアされたヤコブソン詩学チョムスキーの登場などいちれんのきっかけによる構造言語学の限界の露呈。
 かくして第二の古典期への移行がおこる。『エトゥルディ』において導入されたマテーム(音声学にとっての音素のように数学数学性それじたいを定義する「知の原子」)によって文字化が徹底される。文字化と数学化の位階を逆転させ、文字化こそが数学化の原理であるとしたブルバキにならいつつ、それを徹底化させた「超ブルバキ主義」が第二の古典期を導く(ラカンにとって、ブルバキはいまだじゅうぶんにブルバキ的ではない)。第一の古典期においては連続的とみなされていた構造言語学(言語)とブルバキ数学(文字)とが峻別されるに至って、言語学はその重要性を失う。
 第二の古典期は第一の古典期における「拡大されたガリレイ主義」を放棄しない。ぎゃくにそのテーゼを再確認する。ただしそこにおいて想定されている数学はすでに「非ギリシャ化」している。マテームは第一の古典期の根拠を解明し、そのことによって精神分析に第一の古典期の継承をうながすだろう。(つづく)

『明晰な作品』:ジャン=クロード・ミルネールのラカン論(その3)

*Jean-Claude MILNER : L'œuvre claire ; Lacan, la science, la philosophie, Seuil, 1995.

 承前。ここでミルネールは一見コイレとは対極に位置するようにおもえるポパーを召喚し、コイレに対峙させる。ある命題は、その否定が単純な観察に論理的に矛盾しない場合にのみ反証可能である。言い換えると、その指示対象はそれとは別のものであることができなければならない。これは偶然性ということをいみしている。つまり、偶然的な命題のみが反証可能である。それゆえ、偶然的なものについての科学しか存在しない。逆に、あらゆる偶然的なものは科学の対象たりうる。そして科学が包括する偶然的なものの総体が「宇宙」である。

 かくして、偶然性という観念をとおして、コイレの歴史主義的なテーゼポパーの構造的なそれがむすびつく。このとき、「主体の方程式」はつぎのように書き換えられる。「精神分析が操作する主体は、現代科学と相関的であるかぎりで、偶然的なものと相関的である」。かくしてラカンポパーという「ミッシングリンク」に依拠することでコイレとコジェーヴから偶然性という観念を引き出す(ラカンじしんはポパーに言及していない)。偶然性は可能世界の無限性と対になっている。偶然性はこの無限を宇宙の外部にではなく内部そのものに位置づける。「宇宙の無限は根源的な偶然性のしるしである」。そこからすぐれて現代的なテーゼ「宇宙に有限性は存在しない」が引き出される。そしてなにものも宇宙のなかにしか存在しない以上、「有限性は存在しない」。なぜなら「宇宙の外部は存在しないから」。とりわけ、主体は宇宙の外部に存在しない。これが主体のトポロジー的な規定である。宇宙の外部は想像できない。それゆえ、<神>とか<人間>とか<自我>とか「魂」という宇宙の外部をなす例外的表象が発明されてきた。その魂なるものの現代版が「意識」である。それゆえ無意識とは宇宙の外部はないということにほかならない。「神は無意識である」(ラカン)。かくして、「精神分析の根底は無限の宇宙と偶然性についての学説である」。死および性についての学説もここからあきらかになる。死は有限性のしるしだと信じられているが(ハイデガー)、「死が精神分析において重要になるのは無限性のしるしであるかぎりにおいてである」。「有限性のしるしであるかぎりでの死は精神分析においては無である」。あるいは「死はあるひとつの欲動[死の欲動]の対象であるいがいは無である」。一方、性は「身体における無限な偶然性の場」にほかならない。「無意識は話す存在の思考のなかへの無限な宇宙のとりこみ(prise)であり、そのかぎりにおいて性的でしかありえず、他方、性は話す存在の身体のなかへの無限な宇宙のとりこみであり、そのかぎりで無意識的でしかありえない」。

 第3章。60年代の思想は、歴史上に「いくつかの切断がある」という考えを前提している。これはパウロ以来(「一方でギリシャ人たちは知恵を追い求め……」)のモダニティの観念の一バージョンである。バルトにせよアルチュセールにせよコイレにせよ、思想の切断を歴史的にとらえている。ミルネールによれば、フーコーはその例外をなすが、ラカンほど徹底していない。ラカンは、コイレとコジェーヴから、いっさいの共可能的な言説をまきこむ切断の存在を引き出す(「大切断」coupure majeure)。なにものもその切断をまたいで同一ではありえない(それゆえたとえば哲学の歴史とか文学の歴史というものじたいが成り立たない。「哲学」や「文学」それじたいがすでに同一のものではなくなるのであるから)。フーコーは、独立した複数の切断の体系を想定し、たとえばキリスト教が性の歴史における切断ではあっても狂気の歴史における切断ではないとしている点で、「大切断」もしくは<革命>の存在を想定していない。大切断を免れる場所についての問いに、コイレもコジェーヴラカンもとりくんでいない。とりあえず、言語(langues)がそうではないかと考えてみることができる。「下部構造の変化は言語の変化をともなわない。言語の変化は下部構造の変化の結果ではない」(「スターリン定理」)。形式としての言語(「構造」)についてはそうかもしれない。ヤコブソンがこれを諾ったのも宜なるかな。構造についてのラカン問題意識はまずもって大切断を免れる基準座標軸(repère)への問いであるだろう。ラカンはこの点においてマルクス主義に接近する。数学に基準座標軸をもとめるのもやはりスターリン定理にしたがうことだ(ガリレイはまさに数学言語化した)。それにたいし、反スターリン主義者フーコーは留保を置いている。ラカンによる大切断の仮説は、ぎゃくにいうと絶対的な運動、絶対的基準座標軸の存在をあらかじめ想定している。大切断を歴史主義的に考えるなら、スターリン定理が必要だ。ラカンは歴史主義的にとらえなかったので、絶対的基準座標軸を言語にもとめることにあまんじていない。絶対的基準座標軸は言語そのものではなく、言語がその代理(tenant-lieu)となるもの、つまり主体である。「四つの言説」の意義はここにある。時系列的ならざる切断は必然的に「場所論」に求められ、その絶対基準座標軸は atopie (非場所)という次元に位置づけられる。すなわちシニフィアンの主体の insistance[≠ ex-sistence] に。かくして、コイレとコジェーヴの定理は、科学の主体の仮説およびシニフィアンの主体としてのその定義を認めることによってはじめて根拠づけられることになる。そのような主体にはたらきかけるのは治療における「解釈」である。ラカンは解釈を、そのまえとあととではなにものも同義ではないような言葉を発する行為と定義している。「精神分析の実践は解釈である。精神分析が要求する主体――精神分析が「解釈」する主体――は大切断によって構築されるかぎりでの科学が要求する主体である。どんな大切断もひとつの解釈の構造をもつ」。ここにおいてスターリンが、それゆえマルクスがのりこえられる。

『明晰な作品』:ジャン=クロード・ミルネールのラカン論(その2)

*Jean-Claude MILNER : L'Œuvre claire ; Lacan, la science, la philosophie, Seuil, 1995.

 承前。そのような科学の観念をラカンはコイレおよびコジェーヴに負っている。それは古代的エピステーメと現代(近代)科学との「切断」という観念に依拠している。ガリレイ数学化された物理学によって対象から感覚的な質を剥奪することで科学をモダニティの次元にもたらした。「現代的であるすべてのものはガリレイ的な科学とシンクロしており、ガリレイ科学とシンクロするもの以外に現代的なものはない」。

 精神分析誕生の条件はガリレイ科学によってもたらされた。あるいみでガリレイ主義をつきつめた地点に精神分析が誕生したといえる。それゆえラカンの「第一の古典期」は、「拡大されたガリレイ主義」というかたちをとる。

 古代のエピステーメにおける数が普遍的なもの(イデア)を表していたのにたいし、ガリレイは数を自然界の諸対象をさししめすための「文字」(=言語)に還元した。現代科学において自然界は感覚的質を欠いた記号に還元される。

 人間科学が対象とするのも、身体をそなえた個人とは区別される「質なき思考」、すなわち「主体」となる。そのような主体をもたらしたのはデカルトであり、フロイト的無意識はデカルトコギトと同じものである。

 しかしこのような命題はそれじたいではなにもいみしていない。それは問いを別の言い方でくりかえしているにすぎない。ミルネールによれば、科学史についてのラカンの言及は「衒学的なおしゃべり」にすぎず、ラカンの「知」の本質にぞくするものではない。ラカン科学の観念はコイレの歴史主義に依拠しているが、ラカンにとって古代的エピステーメと現代科学の切断は歴史的というよりも構造的なものである。

 『精神分析入門』のフロイトは、反コペルニクス主義が進化論精神分析の登場に際して反復されていると述べている。ここで問題になっているのは歴史的ないみでの反コペルニクス主義というより、反コペルニクス主義の「特徴」すなわち自己愛ないし自我(想像界)のことである。

 哲学観念論に支配されていた状況下で道を切り開くためにフロイト科学主義に依拠した。科学主義に支配された状況下で道を切り開くための教育的な(protreptique)手段としてラカン相対主義唯名論に訴える。

 そのような歴史主義的ならざる構造的な切断は、1969年に導入される諸言説(discours)の理論によって理論化されるだろう。ひとつの言説には[場と項の]異質性と複数性が内在的であり、言説の切断を時系列的な切断には帰すことはできない。言説の切断は、ひとつの言説の体系の内部におけるそれではなく、ひとつの体系から別の体系への変容において生ずる。同じ命題は、別の言説内部においては別の命題になる。二つの言説の関係は切断というかたちでしかありえないが、この切断は現実的な(réel )差異である[つまり関係の不在ではない]。共時性(synchronie)は同時代性ということではなく、あくまでシンクロしているといういみである[可能世界論]。かくしてラカンはコイレを非歴史主義的に読みぬき、いわばコイレ理論を純粋化する。(つづく)