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精神分析と映画をめぐる読書案内

リンカーンを射った男:ラオール・ウォルシュの自伝

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*Raoul WALSH : Each Man in His Time, Farras, Strauss & Giroux, 1974.

 ラオール・ウォルシュの自伝の書き出し。

 わたしのもっとも古い記憶のひとつは、エドウィン・ブースがニューヨーク48番街のわが家に父を訪ねてきたときの悲しげな表情だ。
 6歳だったわたしはびっくりして、子供らしい質問を母にした。「なぜブースさんはあんなに不幸せそうなんだろう。ご飯を食べさせてもらえなかったのかしら」
 母はうまく機転を利かせてわたしにこう説明した。可哀想なお客さんの弟さんはジョン・ウィルクス・ブースで、リンカーン大統領を撃った人なのだと。母は頭を振りながら言った。「気の毒なエドウィン! 彼を責めてもはじまらないのに」
 わが家に殺人者の血縁が来たと知っても、わたしはほとんど怖いとはおもわなかった。逆に、子供だったわたしには、俳優である彼の威厳がまぶしく映った。かつてはブースに熱を上げていた世間リンカーンの死後こんなに月日が経ってから白い目を向けはじめたと両親が話しているのを扉の陰で聞きながら、私は俳優に同情し、いくぶんかかれに自分を重ねていた。そのわけは、わたしたちが二人ともみんなから仲間はずれにされていたからだ。ブースはジョン・ウィルクスの兄であったばかりに仲間はずれにされ、わたしはというと、道具箱の鋸で居間の椅子の足を切ってしまったことで仲間はずれになっていたのだ。年の差は関係なかった。わたしたちがともに不幸せであるだけで十分だった。ブースさんは陰鬱な顔こそしていたが、わが友だったのだ。

 長じて自身も俳優となったウォルシュが演じたもっとも有名な役が『国民の創生』のジョン・ウィルクス・ブースであったことは周知の事実。

 このあと時代はさらに遡り、祖父がアイルランド反体制運動家で、脱獄するも出国途中で無念の死を遂げること、この祖父の四人の息子たちがスペイン船の船長の助けで逃亡に成功すること、RAULではなくRAOULというラテンふうの綴りのファーストネームも、この友情に厚い船長にあやかったものであることが語られていく。

 読者は『艦長ホレーショ』『海賊黒ひげ』『世界を彼の腕に』といった冒険映画さながらの波瀾万丈なロマネスク世界にたちまちのうちに引込まれることうけあいだ。