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精神分析と映画をめぐる読書案内

ロジーヌ&ロベール・ルフォールを読む:症例ナディア(その1)

*Rosine et Robert LEFORT : Naissance de l'Autre, Seuil, 1980.

 ジャック・ラカンに教育分析を受けたロジーヌ・ルフォールは、夫のロベールとともに自閉症および小児精神病精神分析的治療に画期的な次元を切り開いた。ラカンがスーパーヴィジョンを担当した「狼こども」ロベールの症例は、ラカンセミネール第一巻(『フロイトの著作における技法』)において、メラニー・クライン症例ディックと対比させるかたちでとりあげられている。自閉症児を現実界にのみ生きる存在と規定したことは、ラカン現実界概念の再定義をうながした。「自閉症をめぐる闘い」(エリック・ローラン)が熾烈さをまし、DSMの新版がそれに油を注いでいるとみえるこんにち、かれらの遺産の重要性がますます認識されるようになっている。

 夫妻の最初の著作『<他者>の誕生』は、13箇月の精神病の少女ナディアと30箇月の自閉症の少女マリー=フランソワーズの症例からなる。これらは1951年から52年にかけて、ジェニー・オーブリーの医局に設けられたローザン保護者基金(Fondation Parent de Rosan)においてなされた分析の記録である。同じ時期に同じこの機関で、夫妻は他の代表的症例(ロベール、マリース)をも手がけている。

 以下はこの感動的なドキュメントの冒頭部分。

 ロジーヌとナディアの出会いは1951年10月8日にさかのぼる。出生時より結核の母親と離され、重度の鼻咽頭疾患のため養護施設と病院を往復して暮らしていた13箇月半のナディア。入所したときは下痢と耳漏がはげしく悲惨な状態だった。ひどくやせ、やつれた顔をしていたが、隈のある黒い大きな目は生き生きとして、周囲で起きていることに敏感に反応していた。体格は8箇月の子供にひとしかった。部屋のなかでは身動きしない。一日中枕元に座り、ベッドの手すりにしがみついている。お菓子を差し出しても反応しない。立ち上がらせ、ベッドから下ろしても、その場を動かず、表情のない目をしてはげしく体を揺さぶっている。他の子供たちといっしょに座らせても玩具に手を伸ばそうとしないが、他の子供が彼女の近くの玩具をとると叫び声を挙げ、うしろに飛び退く。やがてまた座り直し、体を揺さぶる。ものの掴み方はかわっていて、指の先で触れるだけだ。掴んだかと思うと「自動スイッチが入ったように」放してしまう。じぶんから大人に触れようとしないが、恐怖を抱いているともみえない。
 10月12日。彼女に話しかけると微笑み、うれしそうな表情をする。ゴムの水兵を差し出すとれいのしぐさで不器用に掴む。水兵を揺すり、唇と舌で触り、放り投げ、ひろいあげ、わたしに返し、またとりあげる。そのとき看護師が他の子供たちに食事をさせはじめる。看護師が子供の世話をするのを見るたびにナディアは水兵を叩き、なげすてる。だが感情のあらわれは見てとれない。看護師が食事をさせにじぶんのほうにくるとうれしそうにするが、スプーンが唇に触れると口を閉じ、うしろに下がる。それから受け身の姿勢で食べ物を受け入れる。
 13日。いつもの姿勢だが、目は生き生きしている。親指をくわえているが吸ってはいない。わたしは吸うしぐさをしていないことにおどろく。自体愛的快楽が不在であることに。わたしが近づくと微笑みがひろがる。今日は熱が高めだ。ベッドの手すりに置いたわたしの手をもてあそび、わたしの指を引っぱり、なめる。わたしのほうに体を傾けてきたとき抱きしめようかとおもうが、かのじょの顔からは表情が消えている。微笑みがあらわれたかとおもうと顔をそむけてしまい、窓外の庭をみている。かのじょをベッドにもどすとしかめっ面をつくる。わたしはかのじょに水兵をてわたし、かのじょのもとをはなれる。わたしが他の子供たちのほうへいくと、かのじょはわたしたちを見て、水兵をなげすてる。わたしはひろいあげてかのじょに返す。かのじょは背をむけて水兵で遊びはじめるが、ときどきふりかえり、ためいきをついたり、叫び声をあげたり、笑ったりしてわたしの注意を引こうとする。