『明晰な作品』:ジャン=クロード・ミルネールのラカン論(その1)
*Jean-Claude MILNER : L'Œuvre claire, Seuil, 1995.
わが国ではとりあえず『言語への愛』をものした言語学者としてしられているジャン=クロード・ミルネールは、数年前にアラン・バディウとの連続対談を刊行している(Controverse, Seuil, 2012)。同じラカン派第一世代にぞくするラディカルな知識人でありながら、対談の司会者がいみじくものべているように、バディウが海外でもっともよまれているフランスの思想家であるのにたいし、ミルネールにあっては国内での評価と海外での知名度とのあいだに不当におおきな乖離があったりする。
著者みずからが「ラカン論」(ラカンについての書)ではないと積極的に位置づけているものの、本書がおよそラカン「論」の呼び名にあたいするラカンについてかつて書かれた最良の書のひとつであることはうたがいのないところだ。本書は Seuil 社においてアラン・バディウとバルバラ・カッサンの編纂する l'ordre philosophique 叢書の一冊として刊行された。副題に「ラカン、科学、哲学」とある。
ミルネールが本書を執筆した動機、とくにこの時期に執筆した動機は、この時点で現代思想シーンにおいてラカンの名がひさしく聞かれなくなっていたことである。著者によれば、かれは本書でラカンの思想「について」語ってはいない(それゆえ本書はラカン論ではない)。あるいは、ラカンの思想がどのようなものであるかを語ってはいない。ただラカンの思想が「ある」ということだけを示そうとしている。
アラン・バディウによれば、本書のタイトルは、ラカンにまつわることどもがわかりにくい(obscur)という含みをもっているかぎりで高度に論争的である。「こうした観点からいえば、本書は啓蒙=光(Lumières)の書なのだ」(くだんのラカン講義)。ちなみにこのタイトルはバルトの『明るい部屋』をふまえていようが(著者はバルト論も上梓している)、バルトの著書のタイトルも、une chambre obscure (暗室、カメラオプスキュラ)のもじりだったっけ……。
タイトルを構成するもうひとつの語である「œuvre」にもとくしゅないみあいがこめられている。近代以後において思想や科学はもっぱら思想家や科学者が書き記した「作品」(全著作)をもとにアイデンティファイされる。それゆえ本書でミルネールは、他人が編集・出版したセミネールを除外し(『アンコール』を除く)、もっぱら書かれたテクストに基づいてラカンの思想の「存在」を証し立てようとする。ミルネールはラカンの「作品」を三期に分け、そこに一貫性を見出そうとしている。まず、「第一の古典期」。これは『エクリ』に収められた諸論文が書かれた1966年までの時期に重なる。ついで「エトゥルディ」(1972年)におけるマテームの導入によって画される「第二の古典期」がくる。さいごに、その翌年の『アンコール』において導入されるボロメオの結び目による「古典期」の「脱構築」というプロセスがある。この時代区分の絶妙さはバディウも評価するところ。
ミルネールの論述は、ラカンの思想をパラフレーズした命題を掲げ、それを証明していくといういちれんの疑似論理学的な手続きによって展開する。たとえば、「第一の古典期」を導入するにあたり、つぎのような「方程式」が提示される(「主体の方程式」)。
「精神分析が操作する主体は科学の主体である」(『エクリ』所収「科学と真理」)
この「方程式」にふくまれる三つの「肯定命題」:
(1)「精神分析は主体に作用する」
(2)「科学の主体が存在する」
(3)「この二つの主体は一体である」
(1)〜(3)の交点は「主体」である。ここから「主体の公理」が導かれる。
「経験的ないかなる個人性からも区別される主体がある」
上の(3)は「歴史的相関に支えられているが、それに基づいていはいない」。これはのちに論じられる現代科学の歴史主義的規定にかかわる注意書きである。
(1)は「実践」にかかわる。この命題は精神分析(フロイト)の実践を知っている者の「権威」によってあたえられる。
(2)で発効する「科学の主体」という概念のうち、「科学」の定義はラカンのオリジナルではない。ラカンに固有なのはその「科学」の定義から「主体」を導く「仮説」にある(「科学の主体の仮説」)。いわく、
「現代科学は、科学であるかぎりで、また現代的であるかぎりで、主体の構成様式を規定する」
ここから「科学の主体」がつぎのように定義される。
「科学の主体は主体という名をのぞけばなにものでもない。仮説によって、現代科学がその構成様式を規定するかぎりにおいての主体である」……
ラカンに科学「理論」はない。あるのは科学についての「教え」(doctrinal)であり、それは科学についての命題と主体についての命題の接続という操作にやどっている。
しられるとおり、フロイトは「科学主義」の信奉者を自認している。ただしフロイトの科学主義は、精神分析にとっての「科学という理想」を掲げたといういみであり、精神分析をしてこの理想を「具現」する「理想の科学」たらしめようとしたといういみではない。
ラカンはフロイトの科学主義と袂を分かつ。ラカンにとって科学は精神分析の外部に想定される理想ではなく、「精神分析の対象の素材そのものを内的に構造化する」なにものかである。「どのような条件のもとに精神分析が科学になるかと問うことにはいみがない。……精神分析はおのれじしんのうちにおのれの原則と方法についての基盤をみいだす」。
( à suivre )