パーカー・タイラーを読む(その6)
(承前)
「告げ口屋の声(Tattle-tale voices)」。
女優ベティ・デイヴィスのキャラクターは『人間の絆』におけるヒロインの「声」によって固まった。その whinking, snarking, shrewish tones がデイヴィスをして皮肉屋、the legendary cat of colloquial esteem という女性の類型たらしめた。
「この声は、たのしげな雰囲気のなかで発されようと、シニカルなハーモニーをにじみ出させ、その結果、洗練され、神経質で、artificial なタイプのフェミニティを表現している」。
「ドからドへと不連続にスケールを移行させる」ジーン・アーサーのクレイジー・コメディー向けの声も、「人間的なおもいやりに満ちた」と形容されるマーガレット・サラヴァンのハスキーな声(おもいやりをふりまきすぎた疲れのあらわれか?)も、おなじく aritificial な声に分類される。
「ハリウッドの声の工場はいっこの効率的な制度である」。変幻自在なアクセントをあやつるポール・ムニがその理想だ。あるしゅの俳優たちは早変わりする音声装置をその身にそなえつけている。
The voice of Anne Sheridan, for instance, is a peeling voice, juste as one speaks of an eating apple.
リンゴの皮を剥くように声でキャラを剥いでいく、というイメージであろう。
「その声をドラムの連打のように低く鳴り響かせてみたまえ。たちまち『The Doughgirls』でおなじみになった女性レスラーの声が聞こてくる」。
女性レスラーの声というのはもちろん譬えであって、同作でシェリダンが実際にレスラーを演じているわけではない。念のため。
標題中の tattle-tale という語は、“表裏のある”といったいみでとっておけばよいのであろう。
「ファニー・ヴォイス」のパートでとりあげられるのは、台詞の内容ではなく声だけで笑いをとる俳優たちである。
Marjorie Maine, with a facial expression like dry ice, has a grave-shod voice with the emphasis of a stamping machine.
舞台版の『デッド・エンド』で息子を告発する母親を演じて評判になったメインは映画版でも同じ役を務めたが、このように複雑なキャラクターはハリウッドの要請に沿うものではなかった。ハリウッドはかのじょの声だけを切り離し、その coal-bin croak (「石炭のゴミ箱のガーガーいうようなしゃがれ声」?)を磨かせて「シニカルなユーモアをたたえた人生観」をかのじょのキャラとして売り出した。
「Rationing」におけるウォーレス・ビアリーとの掛け合いは、油を差したコーヒーグラインダーと差していないそれとのスパーリングもかくや(メインはもちろん後者)。
ザス・ピッツ、W・C・フィールズ、エドナ・メエ・オリヴァー、あるいはローレル&ハーディの声のチーム。いずれも声をパーソナリティーの一部に組み込んでいることにおいて見事。アーサー・トリーチャー、エド・ウィンにいたっては声を演技スタイルに合わせるべく人為的に捻じ曲げてさえいる。