アラン・バディウのセミネール『ラカンの反哲学』(その1)
*Alain BADIOU : Le Séminaire ; Lacan l’antiphilosophie 3 1994-1995, Fayard, 2013.
アラン・バディウは1994〜95年にかけてラカンについてのセミネールを開いた。これは「反哲学」をテーマにしたシリーズの一環であり、それに先立つ年度においてバディウはすでにニーチェとウィトゲンシュタインのそれぞれについての講義をおこなっている。セミネールの内容は、われわれがすでにとりあげた近年の著作(「il n’y a pas de rapport sexuel — Deux leçons sur << l’Etourdit >> de Lacan」「Lacan passé présent」)の内容と重なる部分がすくなくない。そちらについてのバックナンバーもぜひ参照していただきたい。
バディウは、パウロにはじまりパスカル、ルソー、キェルケゴール、ニーチェ、ウィトゲンシュタインへとつならる「反哲学」の系譜を想定し、その最後にラカンを位置づけている。ラカンは現代における反哲学のしめくくりであると同時に「開かれ」である(何に向けての?)。
バディウによれば、反哲学は固有の「素材」と「行為」から構成される。たとえばニーチェは芸術を素材にして「超[archi-]-哲学」という行為をなし、ウィトゲンシュタインは言語ないし論理学を素材にして「超-美学」「超-倫理学」という行為をなした。一方、ラカンがその反哲学において事としているのは「超-科学」であるという。このへんのいみするところはセミネールの進行につれて徐々に明らかにされる。
ニーチェは「いつかわたしの哲学が勝利するだろう」と述べ、ウィトゲンシュタインは「わたしが発表する思想の真理はゆるがない」と書いたが、一方、ラカンも「勝利するのはわたしではない。わたしの言説だ」(L’Etourdit)と書いている。ここにおける「自己の消去」と「先取りされた確信」という共通の身振りのうちにバディウは反哲学に固有な主体性の布置をみてとっている。
「わたし」ではなく「わたしの哲学」が、「行為の裂け目」「二つの世界のあいだ」において、差延された仕方で到来する。このような時間的な亀裂のことをバディウは「狂気」あるいは「運命」とも形容している(ニーチェもウィトゲンシュタインも精神病を煩っていた)。
バディウは反哲学をすぐれて「行為」として規定する。「行為」は本書中でさまざまな仕方によって説明されているが、なによりも知的認識に対立するかぎりでの実践として位置づけられる。それは言述の内部に書きこまれることのないものである。そしてもちろんラカンにとって行為はすぐれて「分析的行為」すなわち治療という精神分析的実践のことでもある。
ただし知的認識と一言でいっても、その規定はふくざつである。反哲学は真理、知、現実界の三項を関係づけるふくざつな操作を事とする(そこにさらに「意味」というカテゴリーも絡んできてますますややこしくなる)。
ラカンは『テレヴィジオン』の冒頭でこうのべた。「わたしはつねに真理を語る。ただし、すべてではない。すべてを言うこと、それは<不可能>である……」。ラカンが真理を定義する mi-dit (なかば言われる)という観念がニーチェ的な「正午」(midi)に送り返されたかとおもうと、この「正午」がとうぜんのごとくにヴァレリーとクローデル、ひいてはハイデガーを召喚すると同時にツェランの子午線、マラルメの深夜、ヘーゲルの黄昏(ミネルヴァの梟)へと繋げられて、知と真理を「分かつ」関係=非関係についてのめまいのするようなグルーヴィーこのうえない考察がくりひろげられるにいたって、セミネールははやくも最初のクライマックスに到達する。
バディウは問いかける。ラカンは正午の人なのか? それとも深夜(mi-nuit)の人なのか? 反哲学は真理に反駁しない。そのかわりに真理が有害(nuisible)であることをしめして真理を解任する。くしくもウィトゲンシュタインは哲学という病からの癒し(セラピー)を口にしている。しかしその病が同時に反哲学の糧ともなるのだが……。
しられるとおり、ラカンはフーコーとならび、現代思想においては評判のわるい真理というカテゴリーを復活させた唯一の人である。しかしラカンによる真理の復興は哲学的な真理の解任という行為にともなわれていた。
真理はすぐれてしりえないものであるが、このしりえないものについての知を構築することをもってラカンは精神分析の定義としている(セミネール『アンコール』)。ただし一方でバディウは真理についての知が存在するという哲学の信念を反哲学は退けるとしている。矛盾してはいないか? じっさい、真理と知の関係は「ジグザグ」を描いており、ことのほかややこしいようだ。バディウによれば、ラカンにとっての「真理についての知」は、マテームをとおして構築される。それは主体的な知ではなく、非人称的な知である。理性的な知ではなくいっしゅの行為である。[分析家に]想定された知ではなく、全体として伝達可能な知である。真理はこの二つの知の一致の「日蝕」においてたちあらわれる……。「真理が mi-dit(e) であれば、知は mi-nuit でなければならない」。
ラカンの反哲学は、哲学と精神分析との対立のみによって理解できるものではない。そこに数学を含めた三項図式において理解されねばならない。「数学は意識なき科学である」(L’Etourdit)。そして「哲学は数学にたいして道をふさがれている(bouché)」。このテーゼは、ついで提示される別の二つのテーゼ(「形而上学[哲学]は政治の穴をふさぐ」および「愛が哲学的言説の核心にある」)と並んで、バディウの反哲学的考察の手がかりとなるだろう。哲学と数学の関係のラカンによるとらえかたは、ウィトゲンシュタインのそれとちがっている。ウィトゲンシュタインは、哲学が数学のうちにじっさいにはないもの(経験から独立した普遍的真理)を見ようとしたとかんがえた。ウィトゲンシュタイン的な「セラピー」は、そのようなものが数学のうちには存在しないことをおしえる(数学もひとつの言語である)。一方、ラカンは哲学がふさいだ数学への通り道をふたたび開こうとする。「ウィトゲンシュタインが哲学者の精神科医であるとすれば、ラカンは水道修理人」というわけだ。ラカンにとってその方途となるのがマテームである。マテームは数学化可能なものを表現しない。ぎゃくに数学において記載されない不在(現実界)と関係する。ウィトゲンシュタインがそれをまえにして沈黙せねばならないとしたところのものである。バディウはマテームをウィトゲンシュタインにおける神秘的なものに重ね合わせる。
以上が第一回講義(1994年11月30日)の概要。