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精神分析と映画をめぐる読書案内

ロジーヌ&ロベール・ルフォールを読む:『<他者>の誕生』(その2)

*Rosine et Robert LEFORT : Naissance de l'Autre, Seuil,1980. 症例ナディア(前回の続き)。 15日。あらためてナディアはかのじょの要求(demande)をわたしに向ける。わたしがちかづくと微笑み、わたしが別の子供に近づくと小さな叫びをあげ、泣き出す…

ロジーヌ&ロベール・ルフォールを読む:症例ナディア(その1)

*Rosine et Robert LEFORT : Naissance de l'Autre, Seuil, 1980. ジャック・ラカンに教育分析を受けたロジーヌ・ルフォールは、夫のロベールとともに自閉症および小児精神病の精神分析的治療に画期的な次元を切り開いた。ラカンがスーパーヴィジョンを担当…

セルジュ・ダネーのジョン・フォード評:La maison cinéma et le monde を読む(9)

同じくベルール編「映画事典」より。「ある作家の全作品が、その作家の作品の礎になっているつねに隠された危険を追い払うためにのみ存在するということがある」という一節ではじまるジョン・フォードについての長い記事。上の書き出しは「その危険はまた特…

セルジュ・ダネーのアラン・ドワン讃:La maison cinéma et le monde を読む(その8)

同じ1966年にダネーはレーモン・ベルール編「映画事典」(Editions universitaires) のいくつかの項目を執筆している。アルファベ順でまず「アラン・ドワン」。いみじくも『グレートレース』評で脱線というモンテーニュ的修辞をみずから実践してみせたダネ…

セルジュ・ダネー評論集 La maison cinéma et le monde を読む(7)

ブレイク・エドワーズの『グレートレース』論(1966年2月号)。「陶酔[酩酊]はエドワーズの映画においておおきなやくわりをはたしている(『ティファニーで朝食を』そしてもちろん『酒とバラの日々』)。陶酔は時を急がず、なにものを急かさない。陶酔は…

セルジュ・ダネー著作集を読む(6)

ジェリー・ルイスふたたび(1966年2月号)。『底抜け男性No.7』は、薹がたってきたジェリー・ルイスのサバイバルを賭けた一作だ。いわばジェリーという「仮面」からのルイスの脱皮が問題になっているのであり、もはやみずからの神話に恃むことなく未知の世…

セルジュ・ダネー著作集を読む(5)

「リチャード・クワインは鏡の効果がすきだ」ではじまる『求婚専科』評(1965年12月号)は、コンパクトにして的を得たチャーミングなクワイン論に仕上がっている。「クワインがもっとも実力を発揮するのは鏡の使い方においてだ。登場人物たちはその効果に少…

セルジュ・ダネー著作集を読む(4)

「もっとも大仕掛けな陰謀」と題されたシャブロル論(1965年12月号)。「スーパータイガー/黄金作戦」におけるカリカチュアは、たんなるこけおどしでも韜晦でもおもねりでもなく(そうしたものにとどまっているかぎりでカリカチュアはひとつの文体たりえな…

セルジュ・ダネー著作集を読む(3)

「カイエ」に新作のレビューとしてはじめて書いたのがタシュリン=ルイスの『底抜けオットあぶない』について。ジェリー・ルイスのフランスにおける受容、とくにその映画の政治性の意義についてはわれわれのバックナンバー「二つのジェリー・ルイス論」を参…

セルジュ・ダネー著作集を読む(2)

*Serge Daney : La maison cinéma et le monde, tome 1, Le temps des Cahiers, 1962-1981, P.O..L., 2001) Visage du cinéma 創刊号に掲載された『リオ・ブラボー』論につづき、同じ雑誌の第2号(1963年)に『暗黒街の顔役』についての短い文章がある。「…

セルジュ・ダネーの『リオ・ブラボー』論:ダネー著作集を読む

*Serge Daney : Un art adulte, in La maison cinéma et le monde, tome 1. Le temps des Cahiers, 1962-1981. (P.O.L., 2001) すでに全三巻が完結し、ときどき引っ張り出しては拾い読みしていた分厚い著作集。わざわざ年代順に並べてくれているのだから、…

カトリーヌ・マラブーのフロイト論

*Catherine MALABOU : Les Nouveaux blessés, De Freud à la neurologie, penser les traumatismes contemporains (Bayard, 2007) 『新しい負傷者たち(傷を負った新たなものたち?)』は、可塑性の概念をめぐる思索の書であり、トラウマというアクチュアル…

ジョルジュ・ディディ=ユベルマンのサミュエル・フラー論

*Georges Didi-Huberman : Remontages du temps subi, L’œil de l’histoire, 2 (Editions de Minuit, 2010) サミュエル・フラーは米軍第一歩兵師団(Big Red One)第16連隊の一兵士として、終戦とほぼ同時にファルケナウの強制収容所に踏み込む。そこで想像…

ロジェ・タイユールのハンフリー・ボガート論

* Roger Tailleur, Viv(r)e le cinéma (Actes Sud/Institut Lumière, 1997) ロジェ・タイユールの Humphry Bogart, de solitude et de nuit と題されたテクストより。初出は1967年。 若きロジェ・タイユールがアメリカを発見したのは、ポケット辞書を片手に…

セルジュ・ダネーのサミュエル・フラー論

*Serge Daney : La rampe (Cahiers du cinéma, 1983) D-Day 70周年。だからというわけではないが、ひさしぶりにダネーの『最前線物語』評を読んでみた。初出は Cahiers du cinéma 1980年5月号で、’’Fureur du récit’’(物語への熱狂/物語の怒り)というタ…

ミシェル・クルノのゴダール論

*Michel Cournot : Au cinéma (Melville, 2003) クルノには『気狂いピエロ』についてのテクストが二つあるが、そのうちのひとつ。以下は評論集『映画館にて』の巻末に収録されているもの。 もう夜か、鎧戸は下ろしたか、やみのうえに青で母音をいくつか書け…

二つのジェリー・ルイス論(その2):ミシェル・クルノの映画批評

*Michel Cournot : Au cinéma (Melville, 2003) 映画批評の無頼派詩人ミシェル・クルノ(1922-2007)のグラフィック・アートをおもわせるスタイルの文章を、アントワーヌ・ドゥ・ベックは critique-transe と形容している(Dictionnaire de la pensée du ci…

二つのジェリー・ルイス論(その1):ジャン=ルイ・ボリの批評

*Jean-Louis Bory : Des yeux pour voir(10/18, 1971) ジャン=ルイ・ボリ(1919-1979)は、フランスでもっともリスペクトされていた批評家のひとりであろう。ゴンクール賞を受賞した小説家であり、パリの名門リセ、アンリ四世校の文学教授(専門はバルザ…

ゴダールが絶賛したロジェ・タイユールの『動く標的』論:新・映画批評家列伝(1)

Roger Tailleur : Viv(r)e le cinéma (Actes Sud / Institut Lumière, 1997) フランスでジャン・ドゥーシェのロング・インタヴューが刊行されたのを機に、かの地のシネフィル文化について再考してみようとおもいたった。さて…… シネフィルとはひとつの歴史的…

リンカーンを射った男:ラオール・ウォルシュの自伝

*Raoul WALSH : Each Man in His Time, Farras, Strauss & Giroux, 1974. ラオール・ウォルシュの自伝の書き出し。 わたしのもっとも古い記憶のひとつは、エドウィン・ブースがニューヨーク48番街のわが家に父を訪ねてきたときの悲しげな表情だ。 6歳だっ…

セルジュ・ダネーのガス・ヴァン・サント論

Serge Daney : L'Exercice a été profitable, Monsieur., P.O.L, 1993. ガス・ヴァン・サントは最晩年のダネーが高く評価した若い才能の一人であった。ダネーの死後、コンピューターに残されたテクストをそのまま起こした本のなかに、『ドラッグストア・カウ…

セルジュ・ダネーの『ツイン・ピークス』論

*Serge Daney : L'Exercice a été profitable, Monsieur., P.O.L, 1993. セルジュ・ダネーはデヴィッド・リンチの映画を買っていなかったが(『エレファント・マン』の時評がある)、晩年にテレビの『ツイン・ピークス』をほめている。前回紹介した同じ遺稿…

精神分析と同性婚の問題:最近の記事から

フランスでは来年、同性婚(および同性カップルの養子縁組)がやっと合法化されそうだ。このところ、ファナティックな反対派のデモなども一度ならず報道されている。いうまでもなく、この問題をめぐっては精神分析関係者の発言もさかんである。 そうした状況…

<その後>の時:ジャック・ランシエールのタル・ベーラ論

*Jacques Rancière : Béla Tarr, le temps d'après, Capricci, 2011. タル・ベーラの世界をハンディに概観できる好著をランシエールがものしている。おそらく最初のタル・ベーラ研究書のひとつだろう(フィルモグラフィー等はついていない)。ランシエール…

「性関係の<存在>」:ジャン=リュック・ナンシーのラカン論

*Jean-Luc Nancy : L'> du rapport sexuel, Galilée, 2001. ラカン生誕100周年にあたる2001年に「性関係はない」というテーマで催されたL'Ecole lacanienne de la psychanalyse の会合での講演に基づくテクスト。 ラカンによれば、「性関係はない」。 とい…

「エロスとタナトスのはざまのモダニティー」:ピエール・マシュレのフロイト論

*Pierre Macherey : Freud : La modernité entre Eros et Thanatos(http://stl.recherche.univ-lille3.fr/seminaires/philosophie/macherey/macherey20052006/macherey12102005cadreprincipal.html) 『ヘーゲルかスピノザか』(新評論)などで知られるマ…

ラカン派によるユング論:『精神分析と宗教的なもの』

*Philippe JULIEN : La psychanalyse et le religieux : Freud, Jung, Lacan, Cerf, 2008. 『ラカン フロイトへの回帰』(誠信書房)の著者で、ラカン派を代表する論客の一人であるフィリップ・ジュリアンが、カトリック系の出版社(アンドレ・バザン『映画…

ジャン=ジョゼフ・グーの『モーセと一神教』論

*Jean-Joseph Goux, Les iconoclastes, Seuil, 1978. 『偶像破壊者たち』と題されたもはや古い本のなかで、ジャン=ジョゼフ・グーはフロイトの遺言的著作『モーセと一神教』を政治的な文書として読み解いている(「フロイトとナチズムの宗教的構造」)。 …

「超自我の発明」:エティエンヌ・バリバールのフロイト論

*Étienne Balibar : L'invention du Surmoi, Freud et Kelsen 1922, in Citoyen Sujet et autres essais d'anthropologie philosophique, PUF, 2011. 「超自我の発明 フロイトとケルゼン 1922年」は、2006年に行われた「来るべき精神分析」と題されたコロッ…

無秩序の思想家ラカン:アラン・バディウのラカン論

*Alain Badiou & Barbara Cassin : Il n'y a pas de rapport sexuel --- Deux leçons sur > de Lacan (Fayard, 2010) ; Alain Badiou & Elisabeth Roudinesco : Jacques Lacan, passé présent (Seuil, 2012) 『性的関係は存在しない:ラカンの「エトゥルデ…